2023年11月26日(日)
『孤独』
社会が崩壊状態にあるとき、ひとりになりたいという願いが起こるのは、どの宗教にも言える傾向だ。
イエスの時代、ユダヤ教のエッセネ派は洞窟にひきこもった。
ブッダは社会の幻想を取り除くためにひきこもった。
ヒンドゥー教徒のガンジーは毎週月曜日を「沈黙の日」として、これを厳格に守った。
たとえ英国王との会合があっても、その信念を曲げなかった。
ひとりになると、あらゆる覆いや偽りが剥ぎ取られ、不必要な物質への依存も打ち破られる。
ヘンリー・デイヴィッド・ソローは言った。
「孤独ほど良い友だちに出会ったことがありませんでした。」
トマス・マートンは今世紀、ひとりの生活をだれよりも強く擁護した。
そして、「この惨めで、騒がしく、残酷な地上にいながら、沈黙と孤独という極上の歓びを味わう人々、忘れられた山の庵に住む人々、人里離れた修道院に住む人々、この世のニュースや願望や欲望や争いがもはや届かない所に住まう人々」の一員となることを切望した。
それでもこう言った。
「意図的に送る孤独な生活を唯一正当化するものは、それが神ばかりでなく他の人々のことも愛する助けになる、という確信です。」
マートンは、孤独な生活が必ずしも孤立や的外れでないことを示した。
今世紀、めったに語らず、めったに修道院の地所を離れなかったこの修道士ほど、政治や文化や宗教を鋭く批評した人がいただろうか。
道徳が危機に瀕したこの時代、教会が再び孤独を志向する運動を展開していないことに驚きを覚える。
エリヤ、モーセ、ヤコブは神とひとりでお会いした。
使徒パウロ、バプテスマのヨハネ、イエスご自身は、霊を強めるために荒野に出て行った。
毎週末、すべてのクリスチャンが黙って自然の中を二時間歩き続けたらどうだろうか。
あるいはガンジーのように、「沈黙の日」を守ったらどうだろうか。
ガンジーはそれを月曜日に定めた。
私たちが日曜日の礼拝後、沈黙を守るようにしたらどうだろうか。
さらに、日曜日のテレビやラジオからあらゆるスポーツイベントをなくしてしまったらどうだろうか。
このくらいにしておこう。
隠遁者たちを見ていてわかるように、こうした霊の規律は、抑制が利かなくなるものだ。
God Bless You!!
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