2023年11月25日(土)

2023年11月25日(土)


『行動の動機』

祈りは最初、撤退すること、神の視点を考察する内省的な時間のように思えるかもしれない。
けれども祈りによって、私たちは神のご意思を成し遂げるように、神の国の働きをするように、と押し戻される。

私たちは神の同労者であり、自分をそのような者としてパートナーシップにあずかれるようにしてください、という祈りに戻るのだ。

ナチス支配下の危機的時代を生きたカール・バルトは、祈りは「クリスチャンの真に正しいわざである」と宣言し、また「この世界における神への奉仕で、最も活動的な働き手であり思想家であり戦う者は、同時に、そして明らかに、祈りにおいても最も活動的であった」と述べた。

ロサンゼルスの「カトリック労働者」の無料食堂では、一日の仕事が次の祈りで始まる。
「主よ。私たちを、貧困と飢えの中で生き、死んでいく兄弟姉妹に仕えるにふさわしい者としてください。
私たちの手を通して彼らにきょうの糧を与え、私たちの配慮と愛によって、平安と喜びを与えてください。」

この最初の祈りはしばしば十分でないと報告するボランティアがいる。
「私たちの口からこれらの言葉が出るやいなや、スープやサラダを作るために力強く野菜を刻む音が聞こえ始めます。
数時間後に出す1000を超える食事の準備に入るからです。

その結果、ときどき私はこの仕事の重い責任に捕らえられ、一歩下がって祈りの言葉をもう一度繰り返さなければなりません。
それから思い出すのです。

『ああ、そうだった、責任者は自分ではないのだ。
神が責任者だった。
どうにか、十分な食べ物があるでしょう。
なんとか、それを準備する十分な時間があるでしょう。
そして、なんとか、その仕事をする十分な数のボランティアがいるでしょう。
なんとか、私たちはきょう一日を乗りきることができるでしょう。』」

食事の準備をする間、ある人が「出て行って、一時間祈ります」と言う。
余分な手があれば野菜を切ったりコーヒーを淹れたりできるのに、作業員たちは「祈りに行っておいで」と言う。

彼らはこの働きを自分たちのわざでなく神のみわざとしたいのである。
そして祈りの時間をなくしてしまうと、彼らは現代の働きすぎる文化に屈することになるだろう。

加えて、一週間に一度、この共同体全体が朝集まって、三十分黙想の祈りをする。
前線の活動家にとって、祈りはオアシスであり救急救命室でもある。

God Bless You!!


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