2023年11月19日(日)

2023年11月19日(日)


『日々、思い出させてくれるもの』

鳴りやまない太鼓の音のように、私たちは旧約聖書の中に、不変のメッセージを聞く。
この世界は私たちでなく神を中心に回っているというメッセージを。

ヘブル人の文化には、不断に注意を喚起するものが組み込まれていた。
最初に生まれた家畜や子どもを神にささげ、頭や手首に律法の一部をくくりつけ、戸口には目に見える注意を促すものを貼り、「祝福あれ」という言葉を一日に100回使い、独特の髪型まで作り、衣には房を縫いつけもした。

敬虔なユダヤ人なら、神の世界に生きていることを思い出さずには、一日どころか一時間たりとも過ごせなかった。
ユダヤ教の暦も、収穫や月の満ち欠けばかりでなく、過越の日や贖いの日といった出来事によっても時にしるしを付けていた。

彼らは世界を神の所有物と信じていた。
そして人間の生は「神聖なもの」であると信じていた。

「神聖なもの」であるとは、ただ神に属していることを意味する。

この旧約聖書の考えはきわめて非米国的だ。
合衆国の建国の文書は、生命、自由、幸福を追求する権利を保障していないだろうか。

米国人は自分の権利を侵害するものや、自分個人の空間に侵入する恐れのある者には境界線を引いて抵抗する。
世俗化し工業化の進んだこの環境では、ここが神の世界であるということを思い出させるものに全く出合わずに、一日どころか一週間でも過ごすことができる。

1970年代に、ホイートン・カレッジのチャペルで聞いたメッセージを思い出す。
ロバート・ウェバー教授が「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない」という第三の戒めについて語ったものだ。

普通この戒めは誓うことを禁じるという狭義の意味に解釈されていると言った後で、教授はそれを「神が存在していないかのように生きてはならない」という意味に広げて解釈したのである。

積極的な言い方をすれば、「神の存在を常に意識しながら生きよ」となる。
この戒めを旧約聖書の時代環境の中で研究すればするほど、私はウェバー教授に賛同するようになった。

そうした自覚をもちながら生きるための鍵があるなら、旧約聖書というユダヤ人の偉大な遺産の中にそれは見つけられるはずだ。

God Bless You!!


a:5 t:1 y:0