2023年11月18日(土)

2023年11月18日(土)


『内部情報』

エレイン・ストーキーによれば、病室で生まれたばかりの弟に駆け寄った五歳の少女が「ねえ、神ってどんな方?」と質問したという。

少女は賢くも、弟は天国からやって来たばかりなのだから、何か内部情報をつかんでいるのではないかと思ったのだ。

この少女の質問への答えが旧約聖書に書かれているが、それは新約聖書だけから得る答えとは異なっている。
新約聖書しか読まないと、神の姿は貧弱にしか見えない。

神は哲学的概念ではなく、歴史の中で働くお方である。
アダムを創造し、ノアに約束を与え、アブラハムを召し、モーセにご自分の名を告げて自己紹介をし、ご自分の民の近くに住まうために荒野のテント(天幕)に住もうと計画された方だ。

創世記1章から、神はずっとご自分のことを知らせようと願い続けてこられた。
そして旧約聖書ほど、神がどのような方であるかを完璧に知らせてくれるものはない。

作家ジョン・アップダイクは、「私たちの脳はもはや崇敬や畏怖を感じ取れる状態にない」と言った。
崇敬や畏怖という言葉自体が時代遅れに聞こえるし、時代遅れに聞こえるほど、私たちは旧約聖書に描かれた神の肖像画からそれている。

神を狭いところに押し込めたり、説明し尽くしたりすることはできない。
神は私たちを超越した、荒々しく神秘的な存在に見え、簡単に理解することはできない。

だれも神に何かをしろとは言えないのだ。
ヨブを厳しく戒めた神の演説のポイントだ。

旧約聖書の中に、私にとってできれば避けたい問題が含まれているのは事実である。
パウロは「ですから見なさい、神のいつくしみと厳しさを」と書いた。

私は神のいつくしみだけを考えたい気がするが、そうすると神が自ら現してくださった姿に頼る代わりに、自分勝手な神のイメージを作り上げることになるだろう。

だから、神がご自身を語るのを聞かないまま、神を代弁するようなことはしない。

私たちの思い描く神には、きわめて大きな違いがある。
神は、宇宙のねじを巻くと後ろに下がって、ひとりでに宇宙が動き出すのを見ている冷淡な時計屋だろうか。
あるいは、宇宙だけでなく、人間一人ひとりをその手で支える優しい親なのか。

神がどのような方であるかについて適切な考えを取り戻すことほど、重要な研究課題は考えられない。

God Bless You!!


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