2023年11月15日(水)

2023年11月15日(水)


『二重の働き』

祈りは受動的ではないのか、私たちは行動の代わりに祈りに逃げ込もうとしているのではないか、と心配する人たちがいる。

だが、イエスは祈りと行動の間に全く矛盾を見ておられなかった。
イエスは長い時間をかけて祈り、祈った後も長い時間をかけて人々の必要にお応えになった。

「使徒の働き」の中の教会も同様で、真のパートナーシップを実践していた。
配偶者を失った人たちの世話について導きを求めて祈り、それから執事を任命し、指導者を祈りという大切な行為に専念させた。

祈ることをやめれば、彼らはやもめの世話もやめてしまうだろう。
彼らはユダヤ人と異邦人の文化をめぐる論争についても共に祈り、妥協策を打ち出すべく会議を招集した。

使徒パウロは初代教会のために熱心に祈るとともに、手紙を書いたり、実際に足を運んだりもした。
祈ることも働くことも同じように行った。

船旅をしていたとき、乗船していた全員が迫りくる難破から助かることを祈り、確信を得た。
そして、船上の276人の命の責任を引き受け、指示を出して救助作業に当たらせた。

「使徒の働き」の記事には、神の働きとクリスチャンそれぞれの働きを区別することができず、まさに二重の働きがあることが書かれているが、それこそが要点だ。

パウロがピリピ人に与えた逆説的な命令を思い起こしてみよう。
「恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です」。

祈りに失望していたとき、私は神の介入がないことに意識を向けていた。
なぜ神は私の願うことをしてくださらないのか。

しかし、祈りを協力関係として、地上で神の働きを実現する、人間と神の相互作用として理解するようになるにつれて、その見方が変わった。

神は私に、祈りの中で私のことを神に知らせるようにと求められる。
そしてその祈りを、私の人生の計画———私にはほんのわずかしか把握できないが———に組み入れてくださるのだ。

God Bless You!!


a:5 t:1 y:0