2023年11月14日(火)

2023年11月14日(火)


『神の国のパートナー』

死んだ少女をよみがえらせ、病気の女性を癒し、二人の目の見えない人の視力を回復させ、口のきけない者に声を取り戻させるという多忙な一日を過ごしてから、イエスは、終わらない仕事に困惑した面持ちだった。

集まっている群衆を、深くあわれまれた。
「彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたから」だ。

際限のない人間の必要に直面して、イエスは、何を求めて祈るべきかについて、直接的な命令を弟子たちに下された。

この種の命令は数少ないものだった。
「だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」。

イエスは確かにパレスチナの片隅に長く語り継がれるような衝撃を与えたが、ローマやその彼方にある大陸に、神の国の福音を運ぶ協力者を必要としておられた。

十九世紀後期、ウィリアム・ケアリは、収穫のための働き手の一人としてインドへ行けという召しを感じた。
周囲の牧師たちはこう言って嘲った。
「若者よ、神は、インドの異教徒たちを救いたいと思われたら、あなたや私たちのようなものの助けなど借りずとも、確実にそれを成し遂げられるでしょう。」

彼らはパートナーシップというポイントを見過ごしていた。
神はあなたや私たちのような者の助けなしでは、地上でほとんど何もおできにならないのだ。

地上における神のみわざのパートナーとして、私たちが自分たちに求められることも一生懸命にやることで、神の御旨がなる、と主張する。

「御国が来ますように。
みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と祈りなさい、とイエスは教えてくださった。

この言葉は穏やかなものでなく、強い要求だ。

われらに正義を!
世界を正しいものに!

私たちと神の役割は異なっている。
神がヨブに明らかになさったように、人間には、神の摂理や宇宙の正義や「なぜ」という問いに対する答えを理解する能力が欠けている。

行動と祈りの両方で神の国の働きをし、イエスの足跡に倣うことが、むしろ私たちの役割だ。

では、神はこの世で何をしておられるのだろうか。
神の民は何をしているのかという問いが、その答えだ。

パウロのたとえを借りれば、私たちは地上におけるキリストのからだである。
新約聖書には「キリストにあって」という言葉が164回も繰り返されている。

私たちが伝道する人々に、キリストも伝道しておられる。
私たちが赦す人々を、キリストもお赦しになる。

打ちひしがれた人々にあわれみの手を伸ばすとき、私たちはキリストご自身の手を伸ばしているのだ。

God Bless You!!


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