2023年11月13日(月)

2023年11月13日(月)


『神の起こされた出来事』

通常の摂理において、神は創造物を排するのでなく、創造物を通して、あるいは創造物の中で、お働きになる。
そのため、これが祈りに対する応えだと確実に証明することは難しい。

神のご人格を信頼すると、祈りと出来事の間に偶然の一致以上の関係が見える。
親密に絡み合った、真のパートナーシップが見えるのだ。

十時間の空の旅の後、ハンガリーのブダペストの町なかで、動転して立ち尽くしたことがあった。
ノートパソコンに一連の講演の草稿を入れておいたのだが、ホテルにチェックインした瞬間、乗り継ぎの空港ラウンジのどこかにACアダプターを置き忘れたことに気づいたのだ。

一時間もすれば店は閉まるし、翌日は日曜日だった。
そして異国の町のどこをどう探せばコンピューターのパーツが見つかるのか、見当もつかなかった。

私は短く祈りの言葉をささやくと、英語の話せる人を捜し始めた。
もう駄目かと思ったそのとき、一人の若者とその母親に声をかけられた。

「どうなさいましたか。」

若者は学生で、英語の実力テストを終えて、母親と駅に向かっているところだった。
駅の隣がコンピューター・ストアで、私が必要としていたパーツはそこにあった。

ブダペストでその商品を扱っている数少ない店の一軒だった。
これははたして偶然の一致と言えるのだろうか。

一年後、千二百人が集まる会議に出て、ひとりで食事をしたときのことだ。
適当に選んだテーブルには、ほかに五人の客が座っていた。

話をすると彼らは家族だった。
ミシガン州の自宅に、余命いくばくもない食道癌末期の父親がいて、母親はこの半年、夫につききりで看病してきたという。

ところが会議の直前に、義理の娘二人が他州から夜通し車を走らせ、二十時間をかけて面倒を見に来てくれた。
私の妻がホスピスのチャプレンをしていることを知っていた母親は、苦しみについて私と話がしたくて、この会議に出席した。

少しでも話す時間があるかもしれないと思い、長い質問リストを用意していた。私
は喜んで話を聞いた。

ウィリアム・テンプル大主教は言った。
「私が祈ると、偶然の一致が起きます。
祈らなければ、偶然の一致は起きません。」

私は偶然の出来事を分析するよりも、それらを信仰の基本要素として使おうと思っている。
それらを偶然に起きた出来事として見る代わりに、「神の起こされた出来事」と見ようとしている。

God Bless You!!


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