2023年11月12日(日)
『始まっている変化』
旧約聖書の中で、神はいつも歴史に渋々ながら介入しておられる。
神は待ち、パートナーを選び、苦痛を覚えるほどゆっくり行動し、少しばかりの奇跡を起こし、そしてまたしばらく待つ。
福音書においても超自然的な働きは、イエスの発する力とともに炸裂するのだが、イエスもやはり奇跡を万能薬としてではなく、神の支配の「しるし」として行い、時と場所を慎重に選んだうえで介入された。
イエスもまた大いなる変化を告げ知らせた。
ユダヤ人は当時、神殿に神の臨在があると信じて、神を礼拝するためにそこに足を運んだ。
しかし、サマリアの女が正しい礼拝の場所について尋ねたとき、イエスはこうお答えになった。
「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。
父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです」。
イエスは神の臨在するところを、建物の中にある伝統的な場所(やがて破壊されるだろう、と予言もされた)から、最もありそうにない場所へと移された。
普通の人々の中に置かれたのである。
神はこの星を、自然法を証明する場として設計されたのではなかった。
私たち人間は自然法を曲げる技術を切望することがあるけれども。
神は、被造物と個人的に関わりたい、愛したい、愛されたいと願っておられる。
そのような関係の回復は残念ながら遅々としたものであり、誤りを伴い、ときに途切れてしまった。
旧約聖書に記されている奇跡や勝利の物語と比べれば、後退しているように見えることもしばしばだ。
しかし、新約聖書は、神との親密な関係について、たとえ時間がかかっても確実な前進があったことを示している。
ファラオを倒し、エリコの壁を打ち壊し、バアルの祭司らを焼け焦げにするような、力を誇示して働く御方といった旧式の神を渇望するクリスチャンもいる。
しかし、私は違う。
神の国が今、恵みと自由を通して神の目標を進めていると信じている。
自分が地上をあとにすることは進歩である、助け主〔訳注=カウンセラー〕が入って来るドアを開けることになるのだから、というイエスの保証を受け入れる。
私たちが知るように、カウンセラーは来談者に命令を与え、外から変化を強いるようなことはしない。
優秀なカウンセラーは心に働きかけ、眠っている健康を呼び起こす。
このような対等でない協働者同士の関係では、祈りは理想的な媒体となる。
助け主はたいてい、微妙な方法でご自分の意思を伝える。
私の心に考えを与え、私がたった今述べた言葉の辛辣さに気づかせ、より良い選択へと導き、誘惑のもつ密かな危険性を明らかにし、他者の必要に敏感にさせる。
神の霊は叫びでなくささやきを、動揺でなく平安をもたらしてくださる。
God Bless You!!
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