2023年11月11日(土)
『変わり者の集まり』
どの家族にも成功者がおり、悲惨な失敗者がいる。
感謝祭の日、会社の副社長をしているメアリー叔母さんは、大酒のみで就職したことのないチャールズ伯父さんの隣に座る。
テーブルに集まった人たちの中には賢い者も愚かな者も、変わった者も魅力的な者も、健康な者も身体に障がいのある者もいるが、家族においてはこれらの違いはそれほど重要ではない。
従兄弟のジョニーは自分が家族から疎外されているように見せかけているが、彼の意図どおりにはなっていない。
私たちはみなそうであるが、同じ祖先から生まれ、細胞の中には同じ遺伝子があるという理由で、ジョニーも家族の一員なのである。
失敗したからといって、家族としての資格が取り消されるわけではない。
ロバート・フロストはこのように言った。
家族とは「あなたがそこへ行かなければならないときに、あなたを迎え入れなければならない場所である」。
神が家族という人間の組織を創ってくださったのは、ほかの組織の中でどのように人と関わればよいのかを教えるためではないか、と思うことがある。
家族は、違いを取り繕うことではなく、むしろ違いをたたえることによって最もうまくいくものだ。
健全な家族は強い者をけなすことをせず、最も弱い者をほめる。
「子どもたちのうちどの子をいちばん愛しているかって?
病気の子が良くなるまではその子を、家を離れた子が戻って来るまではその子を愛します」とジョン・ウェ
スレーの母親は述べている。
家族は、私たちが選ぶことのできないただ一つの組織である。
ただ生まれることでその一員となり、結果として、心ならずも見知らぬ人々、異なる人々の多彩な集まりに加えられる。
教会はもう一歩進んだステップを要求する。
共にイエス・キリストにつながっているゆえに、自ら進んで見知らぬ多彩な人々との交わりを創っていくのである。
そのようなコミュニティーは、他のどの組織にもまさって、家族に似ていると思う。
ヘンリ・ナウエンは、コミュニティーを、「最も一緒に住みたくない人が必ず住んでいる所」と定義した。
彼の定義は、感謝祭のたびに集まるグループ(家族)と日曜日の朝ごとに集まるグループ(家族)のどちらにも等しく当てはまる。
God Bless You!!
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