2023年1月25日(水)
『神の賭け』
ポール・トウルニエは言った。
「私たちがひとりではできないことが二つある。
一つは結婚すること、もう一つはクリスチャンになることだ。」
教会との紆余曲折を経た関わりの中で、私は教会がきわめて重要な役割を果たしていることを教えられた。
教会は地上における神の「新しいコミュニティー」なのだ。
理想の教会が例外的で、標準的なものでないことはよくわかっている。
多くの教会では、礼拝よりもエンターティメントを、多様性よりも画一性を、地域への奉仕よりも排他性を、恵みよりも律法を多く提供している。
そして、目に見える教会に対する失望ほど、信仰のつまずきとなるものはない。
それでも、「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び」という、イエスが弟子たちに語った言葉を思い出さなければならない。
教会は、言ってみれば神のリスク、いわば神の「賭け」であった。
私は、理想とは程遠い教会の現状に、希望の逆説的なしるしを見るようにさえなった。
神はあえて私たちのようなひびの多い土の器の中に住むことを選ばれた。
そうすることによって、人類に最大の敬意を払われたのだ。
私は聖書を創世記から黙示録まで幾度か通読したが、そのたびに、教会が頂点にあることに驚かされた。
教会は、神が最初から計画しておられたことの実現なのだ。
キリストのからだは、人種、国籍、ジェンダーという隔ての壁を打ち壊し、この世界のどこにも存在しないコミュニティーをつくることができるのである。
ローマ帝国に散らばっていた樣々なクリスチャンに宛てられたパウロの手紙の最初の段落を読んでみてほしい。
信者たちはみな「キリストにある」ものであると書かれている。
そのことが、人種や貧富の差をはじめ、人間が分類するどんなカテゴリーよりも重要だったのだ。
キリストにあるという私のアイデンティティーは、米国人、コロラド住民、白人、男性、プロテスタントとしてのアイデンティティーよりも重要なのである。
教会はその新しいアイデンティティーを祝福する場所であり、多くの違いがあっても、この一つの共通点を分かち合う人々の中で、このことを理解する場所だ。
疑い深く警戒し合うこの世の人々の面前で、ますます民族主義や分断に向かって動いている世の中で、私たちはもう一つの世界で生きるよう求められている。
God Bless You!!
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