2023年1月19日(木)

2023年1月19日(木)


『神の御前に出ること』

「きようは走りたい気分だろうか」と自問しなくなったのは、ずいぶん前のことだ。
とにかく走ることにしている。

なぜか。
理由はたくさんある。
いつも運動していれば、体重の増加を気にすることなく、食べたいものが食べられる。

スキーや登山などをする体力もつく。
こうした利点のすべてが一種の「先延ばしにされた満足」だ。

身体の運動と同じように、祈りの利点もその多くが、とにかく祈るというシンプルな行為の結果として得られるものだ。

作家ナンシー・メアーズは、「自分は教会へ行くけれども、それは作家が毎朝机に向かうのと同じ精神です。
アイディアが浮かんだとき、それをその場で受け取れるように、という思いからなのです」と言う。

私も同じ仕方で祈りに取り組んでいる。
祈りの結果を思い出すのに四苦八苦する日も少なくない。
それでも私は祈り続ける。

利益を得ていると感じていてもいなくても、そうする。
神をもっとよく知ることができるように、ひょっとしたら静けさと孤独によってのみ神の声が聞こえるのではないかという望みをもって、祈りの場に出る。

日課としての祈りには何年も抵抗した。
神とのコミュニケーションは自発的で自由なものであるはずだと信じていたからだ。

その結果、たまにしか祈らず、ほとんど満足を得られなかった。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、耳、ひじ、手など身体の他の部分をいろいろと違った角度からから描くことに10年を費やした。

そしてある日、その練習を脇に置き、自分の見たものを描いたのである。
同様に、アスリートや音楽家が普段の練習をしないで偉大になることはない。

神と自由に意思を通わせ合う特別な時間を得るために、定期的な訓練が必要であることに気づいた。

英語の「黙想」(meditate)という言葉は、「リハーサル」を意味するラテン語に由来する。
ヴェルギリウスは、笛を吹きながら「リハーサルをしている」羊飼いの少年について語っている。

私の祈りもリハーサルに似ていると思うことがある。
基本の楽譜のおさらいをして(主の祈りを唱え))馴染みの作品(詩篇)を練習し、新しい調べを奏でてみる。

とにかく祈るのだ。

God Bless You!!


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