2023年1月11日(水)

2023年1月11日(水)


『下品な冗談の神学』

C・S・ルイスには、気のきいた言い回しの文学的才能があった。
こんな冗談を言ったことがある。

ほかに証拠がなくても、自然神学の本質は、人間が死に対して下品な冗談を言ったり、下品な姿勢を示したりする現象から論じることができるだろう、と。

下品な冗談から始めよう。
下品な冗談は、排泄と生殖という地上で最も「自然な」二つのプロセスを主題にしている、と言っても過言ではない。

ところが私たちは、作り笑いや二重の意味をもつ言葉を使い、それらを不自然な、滑稽なものとしてすら扱っている。
すべての動物がもつ機能なのに、人間だけには奇妙なものに見えるらしい。

人間は死についても動物と異なる行動をとる。
自然は死を、日常的な普通の出来事として扱っている。
人間だけが死を衝撃と嫌悪感をもって扱う。
普遍的なのかもしれないのに、その現実に慣れることができないようだ。

ルイスは、こうした特異な事柄(よく引き合いに出される人間の良心のように)は、人間の中にある不一致という永久的な状態を暴露しているのではないかと言う。

一人の人間は神のかたちに造られた霊であるが、肉体と統合している。
下品な冗談や死への強迫観念が表しているのは、このどっちつかずの状態のもつ不調和への不快感だ。

私たちは不協和音を感じるべきだ。
何しろ人間は死すべき環境における不死の存在だからだ。

人間に一致が欠けているのは、ずっと昔、人間の死ぬべき部分と不死の部分とが裂け目をつくったからだ。
神学者たちは、その断層線の根源を「人間の堕落」に見ている。

聖書的な人間観によると、私たちが排泄に顔を赤らめ、死から後ずさるのは自然なことだ。
そのような行動が奇妙に思えるのは、それらが奇妙であるからだ。

地球にあるすべてのものの中で、物質に注ぎ込まれた霊と不死ほど特異なものはない。
私たちの感じている狼狽は、人間としてこれ以上ないほど正確な感覚なのかもしれない。

ここが「自分の家」でないことが思い出されるのだ。

C・S・ルイスは誇張表現を用いた。
下品な冗談や死に対する姿勢から、最も本質的な神学を生み出すことは難しい。
しかし、こうした超越性の噂を耳にしながら、自然神学をいっさい否定することは、もっと困難だろう。

God Bless You!!


『喜びの問題』

セックスはなぜ楽しいのだろう。
食べることはなぜ楽しいのか。
色彩があるのはなぜなのか。

痛みの問題を扱った書物を数えきれないほど読んできた。
先日、別の一冊を読んだところで、「喜びの問題」をテーマにした書物を見たことがないことに思い当たった。

人間はなぜ喜びを経験するのか。
この基本的な問題について、当惑して頭を振る哲学者にも会ったことがない。

喜びはどこから来たのだろう。
これは大問題ではないだろうか。

クリスチャンにとっての痛みの問題に匹敵する、無神論者にとっての哲学的問題だ。
無神論者やこの世のヒューマニストたちにも、でたらめで無意味な世界における喜びの起源を説明する義務があるのではないだろうか。

この問題に真正面から立ち向かった人物が、少なくとも一人いる。
G・K・チェスタトンは名著『正統とは何か』の中で、自身がクリスチャンになったのは、そもそも喜びという問題ゆえであったと記している。

セックス、子どもの誕生、芸術的な創造というシンプルな人間の行為に、ほとんど魔法のような次元をもたらす感覚、時折世界に刻まれるそのような驚嘆や喜びの思いを説明するのに、物質主義では浅薄すぎると考えた。

喜びは大いなる善であると同時に、深刻な危険でもある。
喜びそのものを目的として追求し始めると、性衝動や味蕾、美を認める力といった良き贈り物を下さったお方を見失う恐れがある。

伝道者の書が語っているように、ひたすら喜びに身をささげれば、逆説的に全くの絶望状態に陥るだろう。

どういうわけか、クリスチャンは喜びを良しとしない、という評判を得てきた。
クリスチャンが喜びを創造者ご自身の発明だと信じているにもかかわらず、そうなのだ。

私たちクリスチャンは選択することができる。
セックス、食べ物、他の感覚器官に訴える喜びへの耽溺を制限することによって、人生の楽しみの半分を犠牲にしようとする、堅苦しくつまらない人間として生きてもよい。

あるいは、創造主が意図されたように思いきり喜びを楽しんでもよい。
創造主の意図された範囲で楽しむことを最善の贈り物とする、キリスト教の喜びの哲学を万人が受け入れることはないだろう。

懐疑主義者の中には、中庸の主張を嘲笑する人々もいるだろう。
こうした懐疑主義者たちのために、私は簡単な質問をいくつか用意している。

食べることはなぜ楽しいのか。
色彩があるのはなぜなのか。

神という言葉を使わずに説明してもらえないかと、今も答えを待ち続けている。

God Bless You!!


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