2022年9月21日(水)

2022年9月21日(水)


『今、……母の胎内で私をご自分のしもべとして形造った方が言われる。』イザヤ書49章5節


キリスト・イエスにあって自分が神に選ばれたのだと分かって最初に経験するのは、私たちの先入観や偏狭な考えや様々なものに対する忠誠心が粉々に打ち砕かれることである。

それを経て私たちは、神ご自身の目的に仕えるしもべに変えられるのである。

人類は、本来神を崇め、神を永遠に喜ぶ存在として創造された。
ところが、罪によって人類は別の方向に逸れてしまった。

しかし、神のみこころは、いさかかも変わってはいない。
それどころか、新生を経験すると、人類に対する神の大きなご目的に気づかされるようになる。
すなわち、私は神のために創造された、神が私をお創りになったのだと分かるのである。

神に選ばれたと分かることにまさる喜びはこの世にはない。
それゆえに、神が私たちを創造された、素晴らしいご目的に根ざした生き方を、私たちは学び取らなければならない。

神が私たちに対して最初にされるのは、「全世界への関心を、直ぐな人の心の水路に、有無を言わせず流し込む」[*フレデリック・マイヤーズ『聖パウロ』より]ことである。

すると、神の愛、そして神のご性質とはどういうものか、そして全能の神の本質は、「神は、実に……世を愛された」に集約されていることが分かるようになる。

私たちのたましいは、神の創造のご目的にかなうよう、常に開かれていなければならない。
それを自分の意図と混同してはならない。

そうなれば、どれほどの痛みを伴うことになろうとも、神は私たちの意図を砕き、端に押しやらなければならないことになる。

宣教者が立てられるのは、神のしもべとなった人を通して、神の栄光が現されるためである。
イエス・キリストによる救いを経験することによって、神のみこころにかなう者になるということが分かると、なぜイエス・キリストの要求がこれほどにも容赦のないものか納得がいくはずである。

イエスはご自身のしもべたちに一点の曇りもない生き方を要求しておられるが、それは、ご自身がしもべたちに神のご性質そのものをすでに組み込まれたからなのである。

あなたの人生に対する神のご目的をくれぐれも忘れてはならない。

God Bless You!!


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