2022年9月12日(月)

2022年9月12日(月)


『あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。』マタイの福音書20章22節


信仰生活においては、どうしてこうなるのかと、訳が分からなくなる時がある。
そのような混乱があってはならない、と言っても始まらない。

それは正当なことなのか間違ったことなのかという問題ではなく、今のあなたには理解できなくても、神はそのようにしてあなたを導いておられるということなのだ。

そして、このような霊的混乱を通ってこそ、初めてあなたは神が望んでおられることを理解するに至るのである。

《主の友情が覆い隠される時》
イエスはこのたとえで、まるで友人のことなどどうでもいいようにふるまう男をたとえとして話された。
天の御父がときにはあなたにそのように見える場合がある、と言っておられるのである。

神が薄情に思えても、決してそうではないことを忘れてはならない。
やがてすべての説明がなされる時が来る。

心が通じているはずの友情に雲がかかり、どれほど愛していても、心置きなく交われる祝福の時が来るまで、痛みと涙の経験をすることは少なくない。

神が完全に姿を隠してしまわれたとしても、あなたは神に信頼して、神から離れないでいられるだろうか。

《主が御父であることに影がかかる時》
御父が、あたかも無関心で冷淡、そしてあなたに無慈悲な父親に見える時がある、とイエスは言われた。
しかし、決してそうではないことを忘れてはならない。

「だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます」とある。

今は、御父の御顔を覆う影しか見えなかったとしても、やがて神は、すべてを明快に解き明かし、あなたの人生に起こるのをあえて許されたすべてのことについて、神は間違っていなかった、と分からせてくださる。

《主の真実が疑われる時》
「人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」と主は言われた。
たとえ理性的に理解できないことがあっても主に頼る、いう信仰があるだろうか。

神がしておられることが、今は分からなくても、イエスが言われたことは真実であると信じ、信仰に堅く立て。
あなたが今願っていることよりもはるかに重要で、問題になっている課題が神にはある、ということを忘れてはいけない。

God Bless You!!


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