2022年9月11日(日)

2022年9月11日(日)


『主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。』ヨハネの福音書13章14節


日常において、機会があるごとに人を助けるとは、私たちが自分の環境を勝手に選んでいい、ということではない。
神が私たちのためにあらかじめ整えられた、一見偶然に見える出来事の中で、神に属する者としての働きをする、という意味である。

今置かれている状況の中での私たちの姿は、そっくりそのまま、他の状況の中での私たちの姿となる。

イエスがなさったことは、日常の雑役の中でも最も卑しいものであった。
これは、どんなに平凡なことであっても、それをイエスと同じように行うためには、自分のうちにある神の力を総動員しなければできないことを示している。

イエスと同じように私は手ぬぐいを使いこなせるだろうか。
手ぬぐい、たらい、皮草履、そのほか、私たちの生活にあるごく普通のものが、他のどんな方法にもまさって、一瞬にして私たちが本当はどんな人間であるかを明らかにしてしまう。

どれほど卑しい仕事であっても、それを理想的に行うためには、私たちに内在される、全能の受肉された神なしにはできないのである。

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです」とイエスは言われた。

神があなたのそばに連れて来られるのはどのような人々か、よく見よ。
そうすれば、かつてあなたが神にとってどのような存在であったかを神が示しておられることに思い当たり、へりくだるほかはなくなる。

神が自らお手本を示したことを、今度はあなたがやってみる番だ、と神は言われる。

「宣教地に着任したら、そのとおりにやってみます」とあなたは言う。
このように言うのは、戦場の塹壕に入ってから武器を作り始めるようなものだ。
武器が完成する前にあなたは殺されてしまう。

神とともにさらに一ミリオン(1500メートル)行かなければならないというのに、中には10メートルも歩かないうちに疲れ果ててしまう人もいる。

「次の大きな危機が来るまで待つことにしよう」と私たちは言う。
しかし、たとえわずかでもたゆまず進んでいないと、危機が訪れたとき、私たちにできることは何一つない。

God Bless You!!


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