2022年6月6日(月)

2022年6月6日(月)


『……自分の救いを達成しなさい。なぜならあなたがたのうちに働いておられるのは神だからです。』ピリピ人への手紙2章12節、13節(英訳)


あなたの意志は神と一致するようにできている。
ところが、あなたの肉のうちには、自分がすべきだと分かっているのに、それをさせまいとする性質が潜んでいる。

私たちの良心は主を認識するやいなや、何よりも先に、意志を呼び覚ます。
そして意志はいつでも神のみこころに従おうとする。

ところがあなたは「私の意志が神と一致しているかどうかわかりません」と言う。

イエスを見上げよ。
そうすれば、あなたの意志とあなたの良心はいつも神のみこころに一致していることに気がつくはずだ。

「神に従うつもりはありません」とあなたが言うのは、意志ほど深くないところから出ている思いである。
そのひねくれた心と頑固さが、神のみこころと調和することは確かにありえない。
人間の最も深いところにあるのは、罪ではなく、その人の意志だからである。

意志とは神が人間を創造された際の最も本質的な要素であり、罪とは人間の中にこっそり入り込んだ、ひねくれた性質である。

「みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのは神なのです」とあるとおり、新生した人の意志の源泉は全能の神にある。

あなたがすべきこととは、心を定めて、神があなたの内になしておられることを外に表すことである。
自分の救いを努力によって獲得するのではなく、救われたことを世に示し、それによって主が完全に成し遂げられた贖いのみわざの上に決然と、また揺るぎなく立つ生き方があることを明らかにすることである。

その際、あえて神のみこころに反する意志を働かせてはならない。
神のみこころをあなたの意志とすべきである。
そうしていくときに、あなたが何気なくする選択は、神のご意志に沿ったものとなり、そのような生き方は呼吸のように自然なものになる。

心を頑なにすれば、頭が働かなくなり、悟りから遠ざかる。
そのような頑迷さはダイナマイトで吹き飛ばすしかない。
聖霊に従う、というダイナマイトである。

私の意志の源泉は全能の神にある、と私は信じているか。
神は、私がみこころを実行することを期待しておられるだけでなく、私のうちにあってそれをなそうとしておられるのである。

God Bless You!!


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