2022年6月17日(金)
『さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。』マタイの福音書7章1節
他の人をさばくことに関するイエスの教えは、「さばいてはいけない」という一言に尽きる。
通常、クリスチャンほど痛烈に他の人を批評する人はほかにいない。
批判すること自体は、人間社会の通常の営みの一つにすぎないが、霊的な領域においては、批判によって成し遂げられることは何一つない。
批判された結果、人はその長所までもずたずたにされてしまう。
批判しても全く問題がない立場にあるのは、その人のどこが間違っていたかを、傷や痛手を与えずに示すことができる聖霊だけである。
もしあなたが批判的な気持ちを持ったままであれば、神との交わりの中に入ることすら不可能である。
批判的な思いがあるために、あなたはとげとげしく、復讐心の強い、冷酷な人間となるばかりか、自分が他の人にまさっていると思って悦に入るだけである。
ご自身の弟子に対してイエスは、決して他の人に批判的にならない人になれ、と言われた。
これは一朝一タでできることではなく、長い時間がかかることである。
自分が他の人よりまさっていると思うことのないように、常に気をつけなければならない。
イエスが私の生活を点検されたら、そのまなざしを免れることは不可能である。
もし私があなたの目に小さな木くずがあることに気づいたとしたら、私の目には梁が入っている。
あなたの中にどんな間違いがあろうと、神は、それと同じものが私の中にもあることを探り当てる。
人の罪を責めるたびに、私は自ら自分の罪を責めているのである。
他の人を物差しで計ることはやめることだ。
だれの場合にも、少なくとも一つは、私たちが全く知らないでいる事情があるものだ。
神が真っ先になさるのは、私たちを霊的に徹底的に清めることである。
その清めを受けた後であれば、私たちの中にはもはや高慢が残っている可能性はない。
この人には何も期待できず、絶望があるのみだ、という人に私は一度も会ったことがない。
しかしそれは、もし神の恵みがなかったら、私の心に何が潜み続けたかということに気づかされた後だったからである。
God Bless You!!
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