2022年5月17日(火)

2022年5月17日(火)


『そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。』ルカの福音書24章51節


山頂での変貌後、主のご生涯に起きた出来事に匹敵する経験を私たちは一つも持ち合わせていない。
その時を境にして、主のご生涯はどこまでも身代わりのご生涯となった。

山頂での変貌までは、人として普通の、しかし完全な生き方を示されたが、変貌以降は、ゲツセマネ、十字架、そして復活という、私たちにはなじみのない出来事ばかりである。

主の十字架は、人類のだれもが神のいのちにあずかることのできる入り口となった。
主は復活されたことにより、だれにでも永遠のいのちを授ける権威をお持ちになった。
そしてご昇天により、主は天に入り、人類のために門を開け放っておられる。

昇天された山において、変貌のみわざはようやく完結した。
もしイエスが変貌の山から直接、天に帰ってしまわれたとするなら、お供できる者は一人もいなかったはずであり、イエスは私たちにとって栄光に満ちた御方というにとどまったことだろう。

しかし、イエスはその栄光に背を向け、変貌の山から平地に降りて来て、堕落した人類と一体になってくださったのである。

ご昇天は、変貌の完成である。

主は初めから持っておられた栄光の中に戻られた。
しかし、単に以前の栄光に戻られたのではない。
神の御子としてだけではなく人の子として戻られたのである。

今や、人の子のご昇天によってだれでもはばかることなく、神の御座に近づく自由が与えられている。

人の子として、イエス・キリストは意図的に、全能、偏在、全知の力を制限された。
しかし今は、そのすべての力が完全に主のものである。

人の子として、イエス・キリストは神の御座で一切の権威を持っておられる。
イエスは、ご昇天の日から今に至るまで、王の王、主の主なのである。

God Bless You!!


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