2022年4月15日(金)
『高き所はイスラエルから取り除かれなかったが、アサの心は生涯、全きものであった。』歴代誌第二15章17節
アサの従順は、外面的に見て中途半端であった。
大部分は正しかったが、何もかも正しいわけではなかった。
「ああ、それは別に大したことではない」とあなたが言うことについては、十分な警戒が必要である。
あなたにとって大したことではなくても、神にとっては重大事かもしれないからだ。
神の子どもにとって、些細でどうでもいいことなど存在しないのである。
神が、たった一つのことを教えてくださるにも、果てしなく神に抵抗する人がいる。
神が忍耐を失われることは決してない。
しかし、「私は神と正しい関係にある」と言っても、「高き所」が残ったままであるなら、神に従っていない部分がある、ということである。
自分は神と正しい関係にあるのに、それを疑わせるものがあると神は言われるのか、とあなたは抗議するのだろうか。
どんな場合でも、疑わしければそれが何であろうとも、やめることだ。
枝葉末節なことなど、何一つないからである。
自分のからだに関する生活や知的な生活において、今まで全く注意を払ってこなかった点がないだろうか。
大体においては問題がないかもしれないが、油断して、逆戻りしてしまつった点があるかもしれない。
心臓が休日をとって鼓動を停止するわけにはいかないように、霊的に休日をとって信仰の焦点が合わなくなるわけにはいかない。
良心に休暇を与えて良心を保つことはできないように、霊的な休暇をとって霊的なクリスチャンのままでいることはできない。
神はあなたのすべてをご自分のものとなさりたいのである。
それには、常に自分を霊的に整えておかなければならない。
それには途方もない時間がかかる。
ところが、私たちの中には、数分の努力さえあれば、問題を乗り越え、次々と「山頂の経験」ができる、と期待する人がいる始末である。
God Bless You!!
a:37 t:2 y:0