2022年12月6日(火)

2022年12月6日(火)


『わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。』創世記9章13節


人間が神との正しい関係に入ることは神のみこころである。
神の契約はそのために存在している。

神はなぜ私を救ってくださらないのか、と私は問う。
そうではない。
神は私を救ってくださった。
しかし、神との関係にまだ入っていないのである。

神はなぜこのことを、またはあのことをなさらないのか、と私は問う。
そうではない。
神はもうそれをなしてくださった。
問題は、神との契約関係に私が入る意志があるかどうかである。

神の素晴らしい祝福はことごとく成就し、完全なものとなった。
しかし、それらの祝福も、契約を土台に私が神との関係を結ばないかぎり、私のものとはならない。

神が行動を起こされるのを待つというのは究極の不信仰である。
私には神への信仰がないというのと同じだからである。

私が神を信頼できるように、私の中に何かをしてくださらないものかと待っても、神は何もしてくださらない。
それは神と人との関係の土台にならないからである。

人は自分という殻の外に出て、神との契約関係に入らなければならない。
それは神が境界線を越えて、人と契約を結ぼうとしてくださったのと同じである。

このような、神に対する信仰は、残念ながらめったに見ることのできないものである。
私たちは自分の感情を頼りにしているにすぎない。

自分の手にあることが分かるように、何か触って感じられるものを持たせてください、そうすれば神を信じます、という人が、「今こそ信じます」と言ったところで、そこには信仰のかけらも存在しない。

主は「わたしを仰ぎ見て救われよ」と仰せになっているのである。

私が実際に神との契約に基づいて神と「取引」をし、すべてを手放すと、功名心も人間的要素も失せ、神と一つにされた、という完全で圧倒される意識のみが残る。
そのとき初めて、私の生活は根底から変えられ、平安と喜びが輝き出るのである。

God Bless You!!


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