2022年12月24日(土)
『あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。』コロサイ人への手紙3章3節
「キリストとともに神のうちに隠されている」いのちは複雑なものではなく、無限の力を持ち、信じる者に安全をもたらしていることを、神の御霊は証ししている。
しかもこの点をパウロは新約聖書の書簡の中で繰り返し明らかにしている。
私たちは、聖められた生活とはまるで不安定極まりないものであるかのように語る。
しかし、実際は、聖められた生活ほど安全なものはない。
なぜなら、全能の神がその中におられ、背後を守ってくださっているからである。
神を無視して生きようとすることほど危なっかしいことはない。
しかし、私たちが新生したなら、神との正しい関係の中に生きることほど楽なことはなく、道を誤ることほど難しいことはない。
私たちが神の警告に耳を傾け、光の中を歩んでいるかぎりは……。
罪からの解放、御霊の満たし、また光のうちを歩むことについて考えると、堂々と聳える山の頂を私たちは連想する。
たしかに高く、また美しい。
しかし「そのような高みで生きていくことは絶対無理だ」と私たちは言ってしまう。
ところが、神の恵みによって、いざそこに来てみると、そこは山の頂上ではなく、広々としていて、のびのびと暮らせる高原であることが分かるのである。
「あなたは私が歩く道幅を広げてくださいました。
そのために私の足は滑りませんでした」。
イエスの姿を実際に見ながら、イエスを疑うことがあなたにできるだろうか。
「心を騒がせてはなりません」と言われるイエスを目の当たりにしながら、心配するということがはたしてできるだろうか。
主がそこにおられるというのに主を疑うということは、実際にはできることではない。
イエスと個人的に交わるたびに、イエスのことばほど真実に響くものはないはずである。
「わたしはあなたがたに…… わたしの平安を与えます」とイエスは言われた。
それは、あなたの頭のてっぺんから足のつま先まですっぽり包む平安であり、抑えることのできない確信である。
「あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されています」とあるとおり、イエス・キリストの不動の平安はすでにあなたに分け与えられているのである。
God Bless You!!
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