2022年10月25日(火)
『すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。』コリント人への手紙第一9章2節
クリスチャンの働き人は、卑しいことがはびこる世にあって、いかにして神にふさわしい卓越した働きができるかを学ばなければならない。
決して「任地が別の場所だったらよかったのに」と文句を言ってはいけない。
神の民は例外なく平凡な人々にすぎなかったのに、神から与えられた使命によって非凡とされた人々である。
使命を正しく理解し、愛をもって受けとめるのでなければ、私たちは程なく神にとって何の役にも立たない者となってしまうことだろう。
私たちは好んで神に仕えるようになるわけではない。
多くの人は熟慮の結果、働き人になることを選択する。
しかし、神の全能の恵みや、神の力あるみことばの目指すところが分かっていない。
パウロの心、知性、たましいのすべては、イエス・キリストが来られた目的にかなう偉大な使命のために燃やし尽くされ、その目標をパウロが見失うことはなかった。
私たちも、「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト」という中心的な事実とまっすぐに向き合わなければならない。
「わたしがあなたがたを選んだのです)」。
このみことばを、常にあなたの信仰にとっての素晴らしい励ましとせよ。
あなたが神を捕らえたのではなく、神があなたを捕らえたのだ。
神はみこころのままに、あなたを曲げ、砕き、練り上げる。
なぜそんなことをなさるのだろうか。
それはたった一つの目的のため、すなわち、「わたしが信頼するのはこれらの男女である」と神が言いうるためである。
私たちは神の御手の中にいなければならない。
それは、神が私たちにもそうしてくださったように、その御手をもって他の人を、イエス・キリストという岩の上にしっかりと立たせるためである。
決して自分から働き人になることを選択してはいけない。
けれども、ひとたび神があなたを召されたのに、右や左に外れるようなことがあれば、あなたはわざわいである。
召しを受ける前には経験しなかったこと、また他の人が経験していないことを、神はあなたになさることだろう。
神の方法におゆだねするに越したことはない。
God Bless You!!
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