2021年12月19日(日)の手紙

2021年12月19日(日)


『というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。』コリント人への手紙第二、5章14節


人類の始祖アダムが罪を犯したとき、アダムには直接関係のない後世の人々まで、アダムと同じ罪の中にある者となりました。

しかし、第二のアダムといわれているキリストが十字架で死なれたとき、実は、キリストに直接関係のない人々も、キリストとともに死んだのです。

神の子であられるイエス・キリストが、ゴルゴタの丘で十字架につかれたとき、その御姿の中に全人類は死んだのです。
これがイエス・キリストの十字架が啓示している贖罪であり、奥義です。

私たちはすでにイエス・キリストとともに死んでいます。
そしてそれは、「生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです」といわれています。

これはキリストの十字架による新しい生活です。

第一に、すべての人に新しい創造が与られることです。
私たちの古い人はキリストとともに死に、私たちはキリストとともに新しいいのちによみがえりました。
古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。

キリストによる新しい創造は、改造でもなく、改善でもありません。
それは新しいいのちによる新生であり、新しい出発なのです。

第二に、すべての人に新しい目標が与えられるのです。
今までは、私たちはただ自分のために生きていました。
自己中心、自分本位、自分のために要求し、追求してきました。

それが、キリストとともに死に、新しいいのちによみがえったとき、生きる目的はキリストのためであり、キリストのために人生を用いることになったのです。
これこそクリスチャンの目的であり、人生の目標です。

第三に、すべての人に新しい奉仕が与えられるのです。
もはや自分のためではない、よみがえられたお方のために、その生涯をささげ、その愛を、その動力を、その才能を、その持ち物のいっさいをささげて仕える新しい奉仕が始まります。

自分のために生きた生涯は、むなしく、やがて失われていくでしょう。
しかし、キリストのために生きた生涯は、永遠に続くものです。

私たちはキリストにあって新しく創造され、新しい目標を知り、新しい奉仕に向かうようになります。
これこそ、真のクリスチャンの道です。
主は私たちを愛して、私たちを十字架のご愛で包み囲んでいてくださいます。

ですから、何の恐れもなく、自分を主の御前にさらけださせることです。
過去の罪も現在の肉性によるわがままも腐敗性も、すべてを告白し悔い改めることです。

私もある日、心よりの悔い改めと献身の祈りをしました。
それは私の生涯を変えました。
キリストの内住が明確に信じられ、私の生涯は変わりました。

そのようにそれはあなたにも確かに新しい創造となります。

God Bless You!!


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