2021年10月13日(水)の手紙

2021年10月13日(水)


『もうしばらくの間、休んでいるように……。』ヨハネの黙示録6章11節


この世の終わりの時に、キリストを信じなかった者は投げ出されて、歯がみするであろうとイエスは言われた。
その神の審判をもたらすものが馬であり、いちばん先にあらわれてくるのが勝利をあらわす白い馬である。

二番目に出てくるのが赤い馬である。
赤は血をあらわす。
すなわち戦争をあらわす。
争いが起きて、互いに血で血を洗うことがあるということである。

三番目に出てくるのが黒い馬で、黒は飢麓を、作物の不作をあらわす。
6節に、「こう言うのを聞いた、『小麦一ますは一デナリ。大麦友三ますも一デナリ。
オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな』」とある。

一デナリは労働者の一日の賃金である。
一ますは一日分の食糧だから、これに一デナリを費やせば、ほかのものは何も買えなくなる。
そのような飢饉がやってくるというのである。

青い馬とは、灰色ということで、この名は死である。
これは疫病というようなものである。

勝利、戦争、飢僅、そして死の馬。
こういう順序にあらわれたのはなぜか。

五番目の封印が解かれたときに、「あかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た」と書いてある。

つまり殉教者のことである。
その殉教者が、「聖なる、まことなる主よ。
いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」と神に向かって尋ねた。

それに対して神は、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言われたのだ。

神の国、神の支配は、寝ている間に来るのではなく、収穫の時のように、一生懸命手入れをし、肥料をやり、そして収穫の時が来てはじめて収穫を喜ぶことができる。
しかし、人間が努力すれば収穫できるというものではなく、それには一定の時期があるのだ。

私たちは、いろいろな苦しみにあうときに、この苦しみは神の国が来る日までの必要な苦しみを少しでも満たしているのだと思い、神の国が来るためには殉教者の血が一定のところまで満ちなければならない、そのための苦難である、と解釈すべきである。

神の国が来て勝利するためには、神がもくろんでおられる苦しみや争いや戦いがある。
だから勝利のキリストが来ても、赤馬や黒馬や灰色の馬がいなくなるのではなくて、信仰することによってますますそういう挑戦を受けるのである。

信仰というものは、神の国の到来のために戦い、そして血を流し、涙を流し、汗を流すことの積み重ねである。
そういう意味で、私たちは喜んでその戦いを戦っていかなければならないのだ。

God Bless You!!


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