2020年8月8日(土)の手紙

2020年8月8日(土)


『この間ずっと、私はエルサレムにいなかった。私が、バビロンの王アルタクセルクセスの三十二年に王のところに行き、その後しばらくして王にいとまを乞い、エルサレムに帰って来たからである。そのとき私は、エルヤシブがトビヤのために行った悪、すなわち、神の宮の庭にある一つの部屋を彼にあてがったことに気づいた。私は大いに気分を害し、トビヤ家の家財をすべてその部屋から外へ放り出し、命じて、その部屋をきよめさせた。そして私は、神の宮の器を穀物のささげ物や乳香と一緒に再びそこに納めた。』ネヘミヤ書13章6節~9節


あなたの生活に、聖霊のための場所はどのくらいあるだろうか。
トビヤとその家具でその場所が乱雑になっているという問題はあるだろうか。

それなら断固として即座に、放り出す必要がある。

本棚はどうか。
そこにあるものすべてに神の承認が与えられるだろうか。

衣類を収めたクローゼーットはどうだろう。
入っているものはみな、祈ってから買っただろうか。

主が微笑んでくださるようなものだろうか。
それはあなた自身を引きつけるものか、それともイエスを引きつけるためのものだろうか。

レコードのコレクションはどうか。
そこにあるすべてに主は満足してくださるだろうか。
それとも放り出すべきものを指摘なさらなければならなくなるだろうか。

わが親愛なる同志であるクリスチャンよ、もしもこの絶望的な時代に真剣に神に仕えたいというなら、次のことを申し上げたい。
すなわち、そこに敵が散らかした家具を放り出せるように生活のすべての部分を調べる必要がある、と。

ああ、神が働かれる場所をあけることを私たちが学ぶことができるように!

アラン・レッドパス


そのこと自体が正しいか問違っているかが問題なのではない。
その中にあって、キリスト・イエスに属するものがどのような香りを放っているかが問題なのだ。

それは実に小さなことであるかもしれない。

もしもある本を読んで、キリストの顕現が自分にとってあまり大切なことでなくなるのであれば、私たちは神から離れてしまっているのであり、次の段階にはどうなるのか見分けることができない。

そんなふうにしてサタンは、しばしば私たちをあぎむく。
あなたのたましいに入ってきてキリストの新鮮さを奪うものがあれば、注意せよ!

ジョン・ダービー


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