2020年8月12日(水)の手紙

2020年8月12日(水)


『主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」』マタイの福音書25章21節


毎日、次のように感じて一日を始めることは、なんという喜びと力をもたらしてくれることだろう。
「この日も、ただイエス・キリストのしもべとして生きよう。
毎時間、私自身の意思ではなく、主の意思が私を動かすのだ」

イエス・キリストのしもべ!
それだから私は、罪のしもべにはなろうとはしない。
私の主人が聖いように、私も聖くあらねばならない。

イエス・キリストのしもべ!
それだから私は、人々のしもべにはならない。
すなわち、意志の格律には支配されない。
この世の例に倣うことはしない。
天におられる主人の命令だけに従っている。

イエス・キリストのしもべ!
それだから私は、人々のしもべにならなければならない。
主人がしたように、彼らを助け、慰め、彼らのために最下層まで身を落とすためである。

イエス・キリストのしもべ!
それだから私は、どこかの場所で主のしもべであるなら、どこにおいても主のしもべであらねばならない。
人との付き合いすべてにおいて、自分が主のしもべであることを決して忘れてはならない。
主のしもべであることをひそかに告白するだけでなく、公に示さなければならない。

イエス・キリストのしもべ!
それだから私は、もし主のことを知りたいなら、ただ主をまねて、主が歩まれたように歩み、主の足跡をたどるべきである。
しもべたちの目が主人の手に向けられて、自分たちの仕事がどのようになされるべきかを確認し、見たままをまねるように、私の目も主に向けられなければならない。

主に仕えることが困難なときがあっても、文句を言ってはならない。
主は私をみこころのままに用いてくださるからだ。

そしてすべての終わりに、「よくやった。良い忠実なしもべだ。主人の喜びをともに喜んでくれ」と主がおっしゃるのを聞きさえすれば、何よりの満足を得られるのである。

G・H・ナイト


律法のもとで聖別されたものは初めに血を振りかけられ、次に油を注がれ、その後はもはや、ありふれた普通のものではなかった。

だから福音のもとではすべてのクリスチャンは、世俗的な目的のためのありふれた器であったが、血を振りかけられ、油を注がれると、分離されて神にささげられたものとなるのである。

ジョン・ニュートン


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