2020年4月8日(水)の手紙

2020年4月8日(水)


『私は言った。「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。」イザヤ書6章5節


神さまの啓示がイザヤにもたらされたとき、それは彼の唇に関わることでした。

もし舌が神の制御の下にあるなら、私たちはほかの人々に関して沈黙を守っていられます。
自分が受けた傷のことや、時には自分の経験について沈黙していられます。
キリストの生涯はきわめて静かなものでした。

もしも私たちが「神の力強い御手の下に」ずっと留まり続けるなら、強いられた不自然な沈黙ではなく、「御翼の陰に」静かに隠れることで「たましいを和らげ静め」ることができ、うまくいかないことがあってもずっと穏やかなままでいられることを学ぶでしょう。

不親切な言葉が唇に浮かぶことはありません。
それは神さまとの深い歩みの印の一つだから、私たちは自分の経験や、自分の傷や、自分の働きのことをほかの人たちに話す必要はないのです。

それはまた、神さまが私たちをご自分の制御の下に置いてくださっていることを示すものです。
私たちが大いに用いられても、そのことを決して告げないとき、そして私たちが傷つけられ誤解されても、そのことをほかの誰にも言わないときに、どれほど神さまが私たちを制御してくださっているかを表しているのです。

ジェシー・ペン=ルイス


もしも神が、あるクリスチャンをある地位に就け、ある働きを与えられたとする。
そして彼の仲間たちが、彼がその働きを行い、その地位を占めているというそれだけの理由で、彼と争うことを当然と考えたとしたら、彼らの争いはまさに神に対するものとなる。

神はその争いをどう解決するかをご存じで、それをご自身のやり方で解決されるだろう。

この確信が、主のしもべに反抗して「ねたみと騒動を起こす霊たち」が立ち上がってきたときに、聖められた平静さと品性の気高さを与えてくれるのである。

『砂漠の糧』


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