2020年4月1日(水)の手紙

2020年4月1日(水)


『しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。』コリント人への手紙第一15章57節


あるとき、一人の掏摸が救済伝動団のところにふらりとやってきて、キリストを信じて回心した。
彼はキリストの内に、自分のこれまでの罪の赦しと罪に対する力を見出した。
新しい人生に喜びながらも、彼は自分の流儀で未来に対する計画を立てつづけた。

「生まれ変わる前のおれは・・・」と彼は自分自身に言い聞かせた。
「一日に二十人もの財布をすったものさ。
だけど今や、おれはクリスチャンだからね、財布をするのは罪だって知ってる。
だから掏摸はやめなきゃならない・・・。

だんだんとだよ、もちろん。
明日から始めることにして、今月いっばいは一日に十人だけ財布をすることにしよう。
来月は頑張ってこの罪と取っ組んで、一日五人分まで減らしてやるぞ。
なんてったって、おれはもうクリスチャンだからさ。

ずっと頑張りつづけて(神さまの助けも借りて)、今年が終わるまでには、掏摸から完全に足を洗いたいもんだなあ」

あなたはこの話を信じるだろうか。
筆者は信じてはいない。

しかし、私たちは誰しも、すぐにかっとなるとか、倣慢だとか、いらいらしやすいとか、嫉妬深いとか、愛情がないといった短所への対処の仕方において、まさにこれと同じ罪を犯してきた。

私たちは、すりや大酒飲みや賭け事好きな人間がその罪をきっぱりといっぺんに、回心した瞬間に絶つものと期待している。

私たちはその人間に語る。
真実を語ってきかせる。
キリストはあなたに完全な勝利を瞬時にお与えになれるのだ、と。

神は、それよりはささいな罪だと私たちが考えているものに対して、同様の勝利をお与えにはなれないだろうか。
神は私たちを圧倒的な勝利者とすることができるのだ。
罪に対する勝利は神の贈り物であって、成長ではない。

パウロはこのことを認識していた。
彼は「神に感謝すべきです。
神は、徐々に勝利を与えてくださいました」とは言わなかった。

「私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました」と語ったのである。

罪に対してだんだんと勝利していくようなことはありえない。
私たちは、あると思っているかもしれないが。

神の贈り物は完全だ。
実に神は、イエス・キリストご自身を、信仰によって私たちの心の中に住むように与えてくださっている。
そしてイエス・キリストが私たちを守ってくださるのだ。

私たちは、キリストがそうしてくださることを信じ、ゆだねられるだろうか。

ある英国の説教者


これまで神が一つの罪に対する勝利をあなたに与えてくださったのなら、神はすべての罪に対する勝利をあなたにお与えになれます。

あなたをひと時、罪から守ってくださったお方は、一日でもひと月でも同じようにたやすく、あなたを同じ罪から守ることができるのです。

ルース・パクソン


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