2020年3月31日(火)の手紙

2020年3月31日(火)


『さて、時はすでに十二時ごろであった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた。太陽は光を失っていた。すると神殿の幕が真ん中から裂けた。ィエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。百人隊長はこの出来事を見て、神をほめたたえ、「本当にこの方は正しい人であった」と言った。また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、これらの出来事を見て、悲しみのあまり胸をたたきながら帰って行った。しかし、イエスの知人たちや、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちはみな、離れたところに立ち、これらのことを見ていた。』ルカの福音書23章44節~49節


ある夏の日のことだった。
小さな教会に一人の若い貴族がふらりと入ってきた。
教会堂の側廊をぶらぶら歩いていた彼は、ある絵画に注意を引かれた。
それは神の御霊が、絵を描く画家の手を通してご自身の愛を吹きこまれたものだった。

彼はその聖なる顔の目鼻立ちの一つひとつに描かれた愛を見た。
その刺し貫かれた両手を、血の流れる額を、傷ついた脇腹を見た。

彼は絵の下に書かれた二行の詩にゆっくりと目を通した。

われ これをすべて 汝のために為す。
汝、わがために なにを為せしや
(わたしはこのことをすべて、あなたのために行った。
あなたはわたしのために何をしたのか)

イエス・キリストが恵みを注がれた命はすべて主のものだ、という新たな啓示が閃光のように彼の心をよぎった。
彼は何時間も何時間もそこに座って、苦しみを受けるお方の顔を一心に見つめつづけた。

時が過ぎゆくにつれて、くれなずむ陽の光が側廊と信徒席に斜めにさしこみ、頭を垂れた若き貴族の上に降り注いだ。
ツィンツェンドルフ伯爵は涙にむせびながら、キリストへの忠誠を誓った。
主の愛は、彼のたましいを救っただけではなくその心をも捕らえたのである。

彼はその小さな教会から、生涯をかけた偉大な事業を行うために出ていった。
それはモラビア兄弟団の布教団とともに広く世界を回るものだった。

モラビア兄弟団の人々は 『罪に堕ちた世界』に対するキリストの愛を理解し、体現させたように見える。
そのようなことは、神の教会の闘士であるほかの教派は、まだどこも行ったことがなかった。

兄弟姉妹よ、あなたはこの苦しむキリストの姿を心に描いてきたか。
救い主としてだけではなく、あなた自身の心の最高の愛を求めて勝ち取ったお方として見てきたか。
キリストのあなたに対する熱情は、それに応える主への激しい愛をあなたの心に燃え上がらせたか。

死に向かう主の愛は、あなたに喜びの救いをもたらしただけではなく、進んで我が身をゆだねるようにあなたの心をかきたてたか。
主の贖いを受け入れるだけでなく、自分は主のものであることを喜んで認めたか。

主はあなたのいのちのために血を流す子羊であると同時に、あなたの人生において王冠を戴く王であられるか。
主の愛を得る特権と同じく、「あなたはわたしのものだ」という主の愛の要求を受け入れているか。

それとも、その愛の犠牲に歓喜しながらも、その訴えにはまだ沈黙しつづけるのだろうか。

ジェームズ・マッコンキー


キリストに従いて
イエスよ、日々、
我等をいのちの道に導きたまえ。

危険をも何も思い煩うことなく、
ひたすら汝の招くところに急がせたまえ。

御手により、我等を御父の国へ導きたまえ!

我等の運命がどれほど過酷に見えようとも、
くじけずにおらせたまえ。

嘆きと喪失の暗き日々に
おのれの負うべき十字架に
決して我等がつぶやくことのなきように。

この世の試練を通して
我等は汝の王国に達するなり。

我等の心が
他者の苦難の痛みを知らねばならぬとき、
おのれの痛みのゆえに心が沈むとき、
我等に忍耐と尽きせぬ希望を与えたまえ。

ああ、友なるイエスよ、我等の眼を、
我等の旅の目的地に据えたまえ!

さすれば我等の道は
日々、汝によって導かれるものなり。

我等の道が険しきときに
さらに近くに寄りたまえ。

我等が最も苦しむときに
我等を最も助けたまえ。

そしてすべてが終わりしときは
我等に汝の扉を開きたまえ!

ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ伯爵


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