2020年3月13日(金)の手紙

2020年3月13日(金)


『私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私にはよいことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています。』ローマ人への手紙7章18節~19節


もしもたましいが正直になろうとするならば、多くのたましいが、何年にもわたってこんな状況が続いていると告白することだろう。
神に何の栄光も帰することなく、自分たちに何の幸せももたらさない状態が・・・。

その原因は何か。
それは単に、自分はまったく無力であること、それゆえにすべてのことは神にかかっているのだという真実を認めずに、何もかも自分の努力にかかっているという誤った思い込みにとらわれているからにすぎない。

あなたは不屈の闘志で、あなたの敵と何度も繰り返し闘ってきたが、これまで一度も勝利をおさめたことはない。

ちょっと一息ついて、この簡単な質問を自分に問いかけてみよう。
この悲しむべき試みによって、私は何を学ぶだろうか、と。
それは、あなたにとって敵は強すぎ、その力に太刀打ちできない、ということだ。

もしもあなたが現在の努力という方針を続行するなら、過去と同じように未来にも敗北を招くだけである。
あなたの状況は、あなた自身の力が関わっているかぎり、絶望的だ。

一方、あなたが自分の力に見切りをつければ、たましいに安らぎがもたらされるだろう。
なぜなら、あなたの助けと力と救いはあなた自身ではなく、キリストから来ることを悟るからだ。

ああ、そうした悟りの、言葉に尽くせぬなんという恵み!
これ以後は、じたばたもがくことはやめて、別のお方によって安らぎを得て、ダビデのこの歌に唱和することがどんなことかを知るだろう。

「主は私の光、私の救い」

エドワード・デネット


自分の働きによって天に達しようとするくらいなら、砂のロープで月に登ろうとするほうがまだましだ。

ジョージ・ホイットフィールド


人間を聖徒にするには、必ず恵みによらなければならない。
このことを疑う者は何人たりとも、聖徒が何であるかを・・・そして人間が何であるかを、わかっていないのだ。

プレーズ・パスカル


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