2020年2月14日(金)の手紙

2020年2月14日(金)


『すなわち神は、世界の基が据えられる前からこの方にあって私たちを選び、』エペソ人への手紙1章4節


神の「選び」の教理には大きな慰めがある。
私の歴史はとても古いものだと教えてくれるからだ。

それは私が信じたときに始まったのではない。
私がキリストを信じたのは、私の歴史の中ではずっと後のほうで起きた出来事、あるいは事実だったのだ。
私の物語そのものは、神の御手によって書かれ(そのことを語るのはなんとすばらしいことだろう!)、世界が造られる前に始まった。

私に関する契約の計画は、最初の偉大な事実となった。
私の信仰が強いか弱いかにかかわらず、私の礎はそこにある。

ほかのクリスチャンたちはまぶしいほどに私よりも輝き、飛ぶように走って私を追い越していく。
私はそのことを喜び、彼らの実り多さをうらやむことはなく、彼らと比べて自分の乏しさゆえに不安になることもない。

私の起源は彼らと同様に神によるものであり、彼らと同様に尊ぶべき聖なるものだ。
私の礎も同じくゆるがない。
私のかたわらには私よりもずっと豊かに実をつける枝が広がっているかもしれないが、私たちの根はたった一つなのである。

『主の小さき者たちのためのパン屑』


神が絶対的な主権をもっておられることについて文句を言う人がいるかもしれないが、私は、神が万物の支配者であることを喜んでいる。
それは自分の生まれながらの性癖や意思をよく知っているからだ。

もしも私が自分の好き勝手にしていたら、地獄へ直行していたはずだ。

中には、自分の足で立っているときの自由意思について語るクリスチャンもいる。
だがひざまずいて祈るとき、すべてのクリスチャンは神の主権を固く信じる者となるのである。

C・A・コーツ


a:120 t:1 y:0