2020年11月29日(日)の手紙

2020年11月29日(日)


『あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。』ヨハネの福音書3章30節


ああ、自分を空にして、ゆったりとくつろいだ心で、自分自身に関わるすべての不安から解放された精神があったなら!
願わくは、すべての忌むべき曲がった行動を行うおのれ自身から完全に救われんことを!
そうすれば主に用いられ、主のものとされ、祝福していただけるからだ。

自分自身のことを『声』にすぎないと言ったヨハネのことを、主がなんと証しされたか、耳を傾けよう。
「まことに、あなたがたに言います。
女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」

このことをしもべから聞くよりも主人から聞くほうが、どれほどよいことか!

ヨハネは言った。
「私は……荒野で叫ぶ者の声です」。

キリストはヨハネのことを預言者よりもすぐれた者と言った。
魔術師シモンは、自分は偉大な者だと話していた。
それがこの世の習い、人間の流儀なのだ。

だがもっとも偉大な預言者であるバプテスマのヨハネは、自分は取るに足らぬ者であり、キリストがすべてのものの上におられると公言していた。

両者のなんという違いだろう!

私たちは利己心を捨て、おのれを低くしつづけようではないか。
そうすればずっとキリストに満たされていられる。
それは真の安息、真の恵みである。

どうか、我々の心と生き方が明瞭に語る言葉が常に「見よ、神の子羊」であらんことを!

C・H・マッキントッシュ


キリストの近くにいると、自分の奉仕について語れなくなる。
キリストとともにいればいるほど自我は退き、 キリストがご自身の正当な場所を占めてくださるからだ。

主は天に座を占めておられる。
ああ、願わくは、主が我々の心の中にも座を占めてくださらんことを!

E・P・C


キリストに捕らえられた心は、この世のあらゆる誘惑に対する強固な要塞となる。

エドワード・デネット


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