2020年11月25日(水)
『ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買え。代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。』イザヤ書55章1節
神の目的は、どのクリスチャンも霊的に深い生活を送ること。
それは少数のクリスチャンの特権ではなく、すべてのクリスチャンの特権であり、必要なことなのです。
五旬節の日に120人が聖霊に満たされましたが、そのうち、使徒は12人だけでした。
その中には女性もいて、家へ帰って食事を作り、縫物をし、家族の世話をしました。
男たちは畑や仕事場に戻りました。
誰ひとりとして、聖霊に満たされるのに若すぎたり、年をとりすぎている者はいませんでした。
それは個人の選択にまかせるものではなく、義務なのです。
すべてのクリスチャンに対する「御霊に満たされなさい」という明示された命令なのです。
ルース・パクソン
もしもあなたが心の内におられる神に引き寄せられるのを感じたら、偉大な宝を抱くように、それを大切にすることだ。
もし深い渇望に気づいたり、主との近しい歩みに入ったら、それをいいかげんに考えたり、軽々しく扱ってはならない。
だがもしも、神に引き寄せられたり、神への飢え渇きを感じなかったら、それを与えてくださるように神に訴えよう。
飢え渇くことを願うことが飢え渇きの始まりであり、霊的に飢え渇くまでは主イエス・キリストを常食することはできないことを、心に刻み付けておかなければならない。
H・M
インドの賢者に若者が訊ねた。
どうすれば神を見出すことができるか、と。
しばらくの間、賢者は答えを与えなかった。
だがある晩、賢者は若者に、一緒に川に行って水浴びをするように、と言った。
川に入ると賢者は、いきなり若者を押さえつけ、頭を水の中に沈めた。
若者がもう少しで溺れそうになると、聖者は彼を放して訊ねた。
「水の中で何がいちばん欲しかったか」
「息をするための空気です」若者は答えた。
それに対して聖者は言った。
「息をする空気を求めたように神を求めるなら、神に出会えるだろう」
G・ガーディナー
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