2020年10月20日(火)の手紙

2020年10月20日(火)


『わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。』ヨハネの黙示録3章18節


クリスチャンにふさわしい生活は、信仰の生活である。
神の御子に対する信仰によって生きるのだ。

私たちは切実な必要によって「イエスに目を注ぎ」つづける。
「必要なものは何もない」と考えることは、信仰によって生きるのをやめることである。

ペテロが「「主よ、助けてください」と叫んだ」のは、自分が沈みかけてからだった。
必要に迫られてイエスを求めずにはいられなかったのだ。

クリスチャンが謙虚に神の恵みにゆだねて「神が光の中におられるように、光の中を歩んで」いない場合には、自己満足や怠惰、不毛さや無知ばかりになる。

状況や奉仕などをすべて自分の心を満たすためだけに追求するとき、神の恵みは見失われ、たましいの低く不健全な状態が確実に生じる結果となる。

ラオディキアにある教会の状況は、繁栄しており、「自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが」、その霊的な状態は「みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない」。

愛する兄弟たちよ、厳粛なみことばは、私たちにとってかけがえのないものだ!
だがここに、いのちを与える恵みだけでなく、イエスによる回復の恵みがある。

すべての霊的な恵みである。

主は彼らに「豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買う」ように忠告した。
朽ちる金は朽ちないものと比べることによってのみ、正しく評価できる。
朽ちない恵みは、死ぬことがない唯一の方からのみ来るものなのだ。

堕落に向かう信徒がよく出会う誘惑は、外面的な奉仕に何倍も勤勉に打ちこむことで自分を回復しようとすることだ。
だが主の忠告は、唯一の祝福の源に速やかに来ることである。

「わたしから買いなさい」と主は言われた。

たとえあなたがみじめで、哀れで、貧しくても、わたしのもとに来て、金銭も代償もなしにわたしから買いなさいと言っておられるのである。

私たちが自分の失敗に気づいたときは、「あわれみ深い、忠実な大祭司」、すべてに打ち勝ち、「とりなしてくださる方」を思い出して、恵みの御座にすぐに避難する。
それが、何よりも重要なことだ。

どれほど努力をして仕えても、回復に必要な恵みを生み出すことはできない。

しかし、「もしも私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」。

また、特定の罪によって良心が責められていなくても、たましいがうるおいをなくして荒れた状態になったのを感じたら、元気を回復し、新たな慰めと力を与えていただくために主のもとに行くべきである。

……愛する兄弟たちよ、イエスの愛にあふれる助言を決して忘れることなく、恵み深い次のことばにぜひとも応答しようではないか。

「豊かな者となるために、火で精錬さされた金をわたしから買いなさい」

主は、私たちが真の富をもつことを望んでおられる。
だが、ご自分以外の避け所はすべてまやかしであり、「生ける水」以外の「水を飲む人はみな、また渇く」ことをよくご存じなのである。

主の小さき者たちのためのパン層


もしも「湖は大荒れとなり」、イエスは気づかずに「眠っておられる」ように見えても、「イスラエルを守る方はまどろむこともなく、眠ることもない」。

私たちは弟子として、主と同じ舟に乗っている。
主は、私たちが迷いのないひたむきな心でそのことを信じて安心するようにしてくださっている。

なぜなら、舟の中には、水も入ってくるが、キリストも共におられるからだ。

ジョン・ダービー


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