2020年10月12日(月)の手紙

2020年10月12日(月)


『主の前に静まり 耐え忍んで主を待て。』詩篇37篇7節


偉大なドイツ神秘主義者ドミニコ会士のハインリッヒ・ゾイゼはある日、自分の家の扉がノックされるのを聞いた。
そこには赤ん坊を腕に抱いた、見知らぬ女が立っていた。

彼女は、赤ん坊をゾイゼの腕の中に押しやって言った。
「さあ、あなたの罪の結果を受け取りなさい」

ゾイゼはこの女と一度も会ったことはなかった。
鳩のごとく潔白だった。

女は赤ん坊を置いて足早に立ち去った。

この噂はたちまちのうちに町中に広まった。
つまり、これが俺たちが聖者としてあがめてきた男の正体なのさ!
とんでもない偽善者、とんでもないペテン師じゃないか。

ゾイゼは打ちひしがれ、瀕死の人のようにうめいた。
私はどうしたらいいのか。

彼は人のいない場所に引きこもって、主を呼び求め、私にはもう耐えられません、と言った。
「主よ、私はいったいどうしたらいいのでしょう」。

苦悩と恥辱の中で、彼は叫んだ。
「あなたは、私が潔白なことをご存じです」

彼に与えられたのは、完璧に明確で決定的な答えだった。
「あなたは、何をすべきなのか。
わたしがしたようにしなさい。
他の人々の罪のために苦しみ、何も言わないことだ」。

ゾイゼは十字架を見た。
苦しんでいた彼のたましいに平安が訪れた。

彼は自分の家に戻ると、赤ん坊を引き取り、素性のわからないこの子を優しく、慎み深く世話をした。
一言も自己弁護することなく、まるで本当の子どものように育てたのである。

数年が過ぎた。
あの見知らぬ女が戻ってきて、ゾイゼの無実を広く世間に告げた。

しかし、彼の人生におけるわざは「完了した」。
ゾイゼは「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められ」、勝利は達成されたのである。

その勝利の真髄を、その深淵の性質を、次の聖句に見ることができる。
「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」。

F・J・ヒューゲル


あなたはこれまで深い水の中を通ってきたのかもしれない。
悲しみのあまり、その額には深い皺が刻まれているかもしれない。

けれど、困難の中を通ってきたとき、あなたはどちらを多く見出しただろう?
試練か、それともあなたとともに困難を切り抜けてくださったキリストだろうか。

私の考えでは、もっともすばらしいことは神を信じて、「主の前に静ま」ることだ。
「私は黙し口を開きません。あなたがそうなさったからです」と、ダビデは言った。

……休らぎはここにある。
神に、私たちの心の内に住んでいただくことである。

ジョージ・V・ウィグラム


現在のあなたの全責務は、「主の前に静まり耐え忍んで主を待つ」ことだ。
あなたの苦しみがどんなものであろうとも、主の胸で安らぐことがきるのは、なんという恵みであろうか。

エドワード・デネット


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