2019年8月4日(日)の手紙

2019年8月4日(日)


『父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。』ルカの福音書22章42節


神が世のすべてを支配し、神のご意志なしには何事も起こらないのであれば、あるいは、この世の悪、残酷さえも神によって許されているのであれば、あなたは自分を攻撃してくる手に対してさえも丁重に口づけすることができるようになります。

あなたの夫は天国に行ってしまったのですか。
神が彼を取られたのです。

財産が消えてしまいましたか。
神がそのことを許されたのです。

それとも強奪されたのですか。
第二原因を考えてはなりません、深遠な第一原因に目を向けてください。

犬を棒で殴るとします。
犬はその棒に噛みつくことでしょう。
しかし、もしその犬が賢ければ、またあなたに馴れていれば、棒を振るったあなたをただ見つめ返すだ
けかもしれません。

身の回りに起こる苦難という第二原因だけに注目してはなりません。
深遠な第一原因に目を注いでください。
すべてのことの中心におられるのは神であり、あなたの父であり、無限に善なる主なる神です。

あなたはこの地上において、何が起こってほしいのですか。
あなたの思いですか、それとも神の御旨ですか。
もしあなたが主にあって賢明であれば、「わたしの願いではなく、みこころがなりますように」と告白できるはずです。

摂理の導きを受け入れてください。
神がそれらすべてを定めておられるからです。
そして、大いなる賛美をもってそれらを受け入れてください。

「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも私の道を神の御前に主張しよう」と口にすることができれば、これこそが神への真実の犠性のささげものとなります。

私たちが神の御手から善きものを受けて神を賛美することは、だれにでもできることです。
しかし、悪と思われるようなことが与えられ、災難としか思えないようなことが起こっても、それでも力強く神を賛美できるのであれば、これは神の恵みによる導き以外の何ものでもありません。

これこそが聖霊の働きによるものなのです。

私たちに神の恵みを十分にお与えください。
主よ、私たちの忠実な信仰が決して失われることのないようにしてください。
苦しみの極みにあってさえも、主であるあなたの忠実なしもべとならせてください。
そして、声高らかに神を賛美させてください。アーメン

God Bless You!!


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