2019年8月30日(金)の手紙

2019年8月30日(金)


『パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの……。』コリント人への手紙第一3章22節


大切なものは熱心に求めることによって与えられるものであることをあなたは知っていますか。
あるいは考えたことがありますか。
それによって祈りへと導かれたことがありますか。

天の門は祈り求める聖徒の前に常に開かれています。
神の約束は豊かで尽きることがありません。
そして、その約束の成就は祈りによって与えられるのです。

「すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています」。
そして、パウロは「パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです」と言います。

すべてのことが私たちにゆだねられているというのに、だれが祈らずにいられるでしょうか。
そうです、私たちは神の約束をどのように祈り求め、嘆願すべききかを知らされています。
ですから、特別な人たちに最初に与えられた約束は、今も私たちすべてに与えられているのです。

イスラエル人は昔紅海を渡りました。
詩篇66篇に「さあ 私たちは神にあって喜ぼう」と記されています。

ペヌエルにはヤコブしかいませんでした。
しかし、ホセアは言います。「神はそこで彼に語りかけた」と。

そして、使徒パウロは、私たちが緊急状態に陥ったときのために旧約聖書を引用し、力強い約束を残しています。
「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と。

使徒パウロはどこでこの約束を与えられたのでしょうか。
これは主なる神がヤコブに与えた確信だったのです。
「決してあなたを捨てない」と。

これはヤコブのためだけの約束でしたか。
そうではありません!
それは私たちのためでもあったのです。

次のことを知らなければなりません。
「聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないこと」を。

聖書はすべて私たちに与えられています。
神がどのようにソロモンに夜現れたかを思い起こしてください。
「あなたに何を与えようか。願え」と主なる神は言われました。
そこで、ソロモンは聞き分ける心を求めました。

これはソロモンのためだけのものでしたか。
いいえ!
次の御言葉も聞いてください。
「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます」。

これは「まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」と言われた我らの救い主の教えと酷似してはいませんか。

このように多くの主の約束が成就していることがわかるのです。
そして、主は約束のことばの中に隠されている宝を祈りの場にあふれるばかりに注ごうと待ち受けておられます。

ですから、祈り求めなさい。
一切はあなたがたのものだからです。

God Bless You!!


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