2019年7月27日(土)
『五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。』ルカの福音書12章6節
神は御手の中にあるすべての働きに気を配っておられます。
一羽の雀さえ、父のお許しがなければ、地に落ちることはありません。
「そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません」
そして、神は海の中のあらゆる魚にも配慮を示しておられます。
地の洞窟の奥深い、暗い水たまりの中にいる魚、光を見ることのない魚さえも神によって忘れられることはありませ。
主なる神は、神の子たちに対して与えることのできる、父としての特別の配慮といつくしみをもっておられます。
主は何と深い配慮を示しておられることでしょうか。
神がいと小さな雛を忘れていないのと同じくらい、農夫が納屋の鶏に気を配ることはありません。
詩篇に「主は ご自分の羽であなたをおおい、あなたはその翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦」、また「父がその子をあわれむように、主はご自分を恐れる者をあわれまれる。
主は私たちの成り立ちを知り、私たちが土のちりにすぎないことを、心に留めてくださる」と言われています。
神はだれにでも惜しげなく、とがめだてもしないで、何でもお与えになる方です。
神の聖徒であるあなたがたは、何にもまして優先的に全能者の配慮の中に置かれているのです。
「私は苦しむ者 貧しい者です。主が私を顧みてくださいますように」とダビデは願っています。
もし私たちに注がれた神のご配慮を豊かに心の内に蓄えるなら、貧しいこと、困窮していることにも大いなる価値と意味があるのです。
聖とされた人よ、あなたは創造の業と恵みの契約においてだけでなく、神のいつくしみに満ちた配慮の中においても、特別の立場が与えられていることを忘れないでください。
God Bless You!!
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