2019年6月20日(木)の手紙

2019年6月20日(木)


『見よ。わたしは命じて、すべての国々の間で、イスラエルの家をふるいにかける。ふるっても、小石は地に落ちないようにする。』アモス書9章9節


人生の試練は厳しく、ある人にとっては致命的です。
ですから、「明日のことまで心配しなくてよいのです。
明日のことは明日が心配します。
苦労はその日その日に十分あります」と言われるのです。

たとえ順風満帆の歩みの中にあっても、試みと誘惑を避けることは決してできません。

ある人は逆境によって人生を失います。
しかし、かえって豊かさが多くの人を滅ほすことがあるのです。

何事もなくふるいを通過できる人は、本当にわずかです。
というのは、彼らがふるいを通り抜け、豊かになると、今度は以前の友人に対して尊大な者になることがあるからです。

時には流行の先端を行く別の宗教へと移り、純粋な神の真理を捨ててしまいます。
神の教会の柱ともなるべき裕福な人が、教会の先鋭な敵と変わってしまうことも起こるのです。

だれが真理に対して最も敵対しているでしょうか。
それは、時に豊かになった人たちであり、また悪魔に転向した人たちです。
途切れることのない、そして平凡な豊かさにはだれも耐えられません。
贅沢の中に住みなれると、人はかえって堕落するのです。

しかし、山岳地帯は、何ものも恐れない、そして、耐久力を必要とするレースを生み出します。
険しい岩山の危険と、冷たい冬の装具は丈夫な神経と筋肉を作り、ついにその一つ一つが力強 い、勇猛な行為、英雄的な行動への備えとなります。
老練な主の兵士として成長できるのは、実際に霊の戦いに加わることによってです。

豊かさの中にもふるいはあります。
しかし、逆境こそ真実のふるいの役割を担っているのです。

主よ、富に満たされた状態から解放してください。
また、貧しさによって制限されることからも解放してください。
この両方の極端な状態から救い出してください。

アグルの祈り、「貧しさも富も私に与えず」は実に適切な勧めです。
裕福であろうと貧しくあろうと、私たちは現在の状態を試みの時とみなさなければなりません。

その試みにおいて、私たちが主キリストに、また、聖霊の働きに真実につながっているのか、それとも、実際は死んでいて生きているのは名のみで、ただ見せかけだけの信仰告白者であるのかどうかを、いずれ、神は私たちに明らかに示してくださるでしょう。

God Bless You!!


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