2019年1月22日(火)の手紙

2019年1月22日(火)


『あなたがたは、私が造った神々と、それに祭司を奪って行きました。私のところには何が残っているでしょうか。私に向かって「どうしたのだ」と言うとは、いったい何事です。』士師記18章24節


地上的な慰めは一時的なものでしかありません。

というのは、私たちが所有するものはすべて神のものであり、すべては神からの借りものにすぎないからです。

貸してもらったものであれば、いずれ神から返還を要求されるのは当然のことです。
最高所有者の選択によって、期限付の契約に基づいて私たちは財産や友人を所有しているのです。

ですから、神がご自身のものを取っても、不満を言ってはいけません。
イバラや野ばらが生い茂る所では、棘が刺さ傷を負っても自然なことです。

この世は盗人、詐欺師、中傷する者、裏切られた期待、移り気な友人たちで満ちています。
そして、病を経験し、ついには死に至ります。

主イエスは、地上の住まいには盗難の恐れのあることを警告しておられます。
「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。
そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます」と。

愛するみなさん、このような不運に襲われることがあるかもしれません。
そのために心を備えようではありませんか。
それらを握りしめることなく、あたかも持っていないかのように所有しようではありませんか。
いま所有しているものを、いつかはなくなってしまうものとみなそうではありませんか。

消えゆくものを神としてはなりません。
もしそうであれば、奪い取られるとき大いに失望し、ミカとともに「あなたがたは、私が造った神々と、それに祭司を、奪って行きました。私のところには何が残っているでしょう」と嘆くことになるでしょう。

God Bless You!!


a:86 t:1 y:0