2018年7月6日(金)の手紙

2018年7月6日(金)


『あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、主であるからだ。』レビ記20章7節


神のことばがつっかえる。
「(あなたがたが)聖別するなら…、わたしはあなたがたを聖なる者とする」。

そうです。
これは矛盾のようです。

が、神のことばがつっかえることはありません。
私たちの心が神の真理を直ちに悟ることができないだけです。

そうです。
ここに書いてあることは、およそ知性では把握できません。
が、神に対して真剣になり始めさえすれば、直ちにそれを体験として受け取ることができるのです。

内的に覚醒し、神に聞こうとする人は、自分自身を神のものにされたいと願います。
「聖なる者」にされたいと願うのです。

そして高慢、気まぐれ、汚れ、怠慢、自己中心、偽り、その他すべてに打ち勝とうと努めます。

そのとき人はひとつのつらい発見をします。
すなわち、少しも聖なる者とならない自分を見出すのです。

逆に内なる罪の数々が、かえって力を増すようにさえ思えます。
こうして結局は深い絶望に落ち込み、失われた自分を悟り、神を忘れたいと切望し始めます。

しかし、そこで神が語り始めてくださいます。
「わたしはあなたがたを聖なる者とする主である」と。

神は私たちをその愛する御子へと導かれます。
私たちは十字架の救い主を認め、また、彼にあって私たちがどんな行いにもよらないで義とされ、聖なる者とされ、神の子どもとされるのを発見します。

そこで人は心から主を信じ、この救い主に自分を全くゆだね、主を心に受け取ります。

すると心の内にいますイエスが働きを始めてくださいます。
主は聖霊によって神のみわざ、私たちが自分でできなかったことを進めてくださいます。
主が私たちを聖なる者としてくださるのです。

主よ。
私たちは自分の性質に倦んでいます。
罪人を義とし、聖なる者としてくださることを、今こそ感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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