2018年7月27日(金)
『ダビデは神に言った。「…罪を犯したのは、はなはだしい悪を行ったのは、この私です。…』歴代誌上21章17節
これが驚くべき出来事であるということは、私たちの目にも明らかになっているでしょうか。
旧約の民に対して、神の確固たるさばきが行われました。
恐怖と苦悩とがすべての人を打ちのめしました。
そのとき、突然、王が神の前に顔を上げ、「主よ。罪を犯したのは…この私です」と言ったのです。
こんなことがあり得るでしょうか。
この世に罪と咎が満ちていることは、だれもが認めます。
が、罪を犯すのは決して私たち自身ではなく、いつも他の人たちなのです。
いったい私たちは一度でも神に対して、ダビデのように言ったことがあるでしょうか。
人のことをではなく、自分を、神の前に告訴したことがあるでしょうか。
こう考えるとき私たちは、ダビデが神の特別な友であったことを悟ります。
これは注目すべきことです。
なぜなら、キリスト者であればだれでも、ダビデの犯した悪事を知っているからです。
聖書には彼の姦淫と恥ずべき裏切りとが記されています。
その彼をどうして神の特別な友と言えるでしょうか。
が、きょうのみことばは、彼を「真理に属する者」としてあかしします。
「真理に属する」という表現は、神の御子イエスから出ています。
主は言われました。
「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」と。
そうです。
自分を告訴できる人は、私たちの罪をことごとく十字架に担い、償ってくださったイエスを見いだす人です。
そして、その人は恵みと赦しを発見し、神の友となります。
暗闇をさまよう限り、私たちは人を訴え続けます。
しかし、もしも神の光のもとに来るならば、自分を訴えるようになるのです。
主よ。
私自身の心のさまを見させてください。アーメン
God Bless You!!
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