2018年7月20日(金)
『それから、かなりたって、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け…。」そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。』列王記上18章1節〜2節
なんという恐怖の道行きであったことでしょう。
三年間、主は預言者エリヤをひっそりと隠しておられました。
偶像に仕えるアハブ王は、この神の人を捜し出そうと、憎しみに燃えて八方に手を尽くします。
が、エリヤは神の御手の中に隠されていました。
その主が今、エリヤを行かせようとなさいます。
「アハブに会いに行け」。
ライオンの穴に入って行け、というようなものです。
そうです。
目を開いたまま、死に飛び込むようなものです。
「そこでエリヤは… 出かけた」。
強き人の、恐れなき勇気を、ここに見る人々もいるでしょう。
しかし私は、エリヤに恐れがなかったとは思いません。
彼の心にも不安と恐怖が宿ったと確信します。
が、決定的なことですが、彼はその恐怖に打ち負かされませんでした。
彼は肉の思いに勝ったのです。
これは福音の持つ重要な一面といえるでしょう。
福音には、肉の思いを克服する力があります。
ポティファルの美しい妻がヨセフを誘った時、彼の血は騒ぎました。
が、彼はそれに従わずに、「私は神に罪を犯すことができましょうか」と
言いました。
肉の思いに打ち勝ったのです。
エレミヤは預言者として召された時、その召命ゆえに遭遇するであろう幾多の苦難を思って、恐れつつ答えました。
「私は若すぎます」。
しかし、それでも彼は生ける神の使者として世に立ち向かって行きました。
肉の心に打ち勝ったのです。
イエスにあって同じことが可能です。
主は私たちの古い性質を、ご自分の死の中に巻き込んでしまわれました。
私たちが彼とともに新しく生きるためです。
主よ。
私たちを自分から解き放ち、あなたの支配のうちを歩ませてください。アーメン
God Bless You!!
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