2018年7月17日(火)の手紙

2018年7月17日(火)


『ソロモンは主を愛し…。』列王記上3章3節


最近ある人から、現代そのものとも言うべき話を聞きました。
だれかが死んで、身内が集まり、悲しみつつ埋葬を済ませた後に、彼らは挨拶状のことで印刷屋に出かけます。

「死亡通知に十字架を入れないといけないのだろうか」とひとりが言うと、他のひとりが「それはそうだろう。
お父さんは別にキリスト教に反対ではなかったのだから」と答えたというのです。

ヨーロッパ人の多数は「キリスト教に反対ではない」人たちです。
冷淡さを示すのに、これ以上に明確なことばはありません。

「反対ではない」が、救い主も、救いも、恵みも、罪の赦しも知らない人たちで、やがて地獄は満員になるのではないかと、私は心配します。

「ソロモンは主を愛した」。
なんと響きの違うことばでしょうか。

愛とは何か。
それを私たちは聖書によって、または、地上の教会がしばしば示す主への愛によって、学び知ることができます。

本当の愛は、「考えることはあなたのことばかり」という性質を持っています。
ソロモンの父である、神の友ダビデも歌いました。

「ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います」。

若い日のソロモンも同じでした。
神殿を建て上げるにあたって、彼がどれほどの喜びと愛を抱いたかを、人は知らなければなりません。
栄光の主への燃える愛を、人はそこに感じることができるのです。

十字架のイエスに、私たち罪人への神の愛の啓示を発見する人は、心躍らせてテルシュテーゲンとともに言います。
「自分のことを思い巡らす代わりに、私は、主の愛の大海に身を沈めます」。

主よ。
あなたをほかにして、だれを愛せましょう。アーメン

God Bless You!!


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