2018年7月14日(土)の手紙

2018年7月14日(土)


『ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」』サムエル記下9章1節


恐るべき血なまぐさい歴史が、聖書の中で語られます。
それは神のさばきを告げ知らせ、また、神は人が思うほどに無害なお方ではないことを示すのです。

長年にわたる背信の王サウルは、神の友であるダビデを追い回しました。
が、やがてペリシテ人との戦いのさなかに、サウルとその一族は滅び果てて、ダビデが王位に即くこととなります。

そのときにダビデの語ったことばです。
突然の聞き慣れない調べ。
それは福音の響きです。

「サウルの血統の者がいれば、ヨナタンのゆえにその者に恵みを施したい」。

ヨナタン。
神に退けられたサウル王の息子であるこの男は、終生ダビデの真実の友でした。
その死を聞いてダビデは打ちひしがれます。
その彼のゆえにダビデは今、憐みを注ごうと考えるのです。

「ヨナタンのゆえに」、さばきを終わらせなければならない。
これは新約をさし示す指です。

新約において私たちは、「イエスのゆえに」罪人や背信の者に対して憐みをお示しくださる、神の御声を聞きます。

私たちにはわずかひとつの罪をさえ拭い去ることはできません。
いかなる罪をも償うことはできません。
もしも赦されることがないならば、罪はいつまでも肩にくい込み、それは私たちを滅びへと導きます。

しかし私たちのため十字架で処罰されたイエスのゆえに、神は私たちを赦すこととし、恵みを施してくださいます。

自分の罪を否定し、またそれを軽く考え、自己弁護し、それを忘れたりすることによってではなく、ただ、この「イェスのゆえに」を受け入れて、信じ、恵みにすがることによって、私たちは怒りの火と神のさばきを逃れることができるのです。

主イエスよ。
私たちのために死なれたことを感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


a:160 t:1 y:1