2018年6月1日(金)の手紙

2018年6月1日(金)


『神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。』テモテへの第一の手紙3章15節


キリストの教会はまず真理を生み出さなければならない。
そして教会はその時々の流行の真理の言い回しを借用しなければならない。
もしもそう考えるならば、それは大きな間違いです。

それは全く逆です。
教会があれこれの真理を生み出すのではありません。
ひとつの永遠に変わらない神の真理があるからこそ、教会は存在するのです。
そして教会はこの真理に仕えます。

使徒パウロは、若い同労者テモテに書き送ったこの手紙の中で、そのことを実に壮大に描いてみせました。

ローマの町を歩くと、立像をのせた石柱をいくつも見ることができます。
また、ヨーロッパ各地の都市を訪ねる人は、至る所で記念碑にぶつかります。
背の高い台座の上に、だれか偉い人のブロンズ像が立っているのです。

さてパウロは言います。
主の教会はそのような石柱や台座となって、その上に「真理」が堂々と高く掲げられなければならない、と。
大切なのは石柱や台座ではなく、その上にある立像です。

それと同じように、大切なのは教会ではなく、教会が高々と掲げるべき真理そのものです。
私たちの諸教会は、いったいそのような真理の柱なのでしょうか。
私たち自身は真理の台座でしょうか。

使徒はこの同じ手紙の中で、この「真理」が何であるかを語っています。
真理とは、ただひとりの神がおられること。
また、神と人との間に、ただひとりの仲介者イエス・キリストがおられること。
そして、イエスの十字架において救いが完全に現されていることです。

そして、この真理を認識することによって、人は救われるのです。
それゆえこの真理を高い台座の上に置かなければなりません。

主よ。
私たちを、あなたの真理の証人、仕え人としてください。アーメン

God Bless You!!


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