2018年5月9日(水)の手紙

2018年5月9日(水)


『イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。』ルカによる福音書24章50節~51節


「ベタニヤ」は、「貧しい者の家」「悲惨の住みか」というほどの意味です。
ユダヤ教の法典タルムードはこの町を、「成熟しないなつめやしが生える」所だと記しています。
それゆえ明らかにそこは貧しい人々の村でした。

さらにまた、ユダヤの書物によると、ベタニヤには大きな貯水池があったといいます。
病で汚れた人々がエルサレムの神殿に行くためにそこで身をきよめなければならなかったとのことです。
それゆえ、そこにはいつも、惨めな人、汚れた人々がたむろしていたのです。

イエスは、まさにこの「惨めな者、汚れた者の家」から、天への帰還の一歩を踏み出されます。
すなわち戴冠ともいうべきイエスの昇天は、よりによってここで起こったのでした。

主イエスの栄光は「貧しい者の家」に始まる。
なんと良い知らせでしょうか。
私たちの主は、惨めな者、汚れた者を、神の御座に結びつける帯です。

おそらく私たちは神の前に自分の汚れを知る者たちでしょう。
おそらく私たちは「成熟しないなつめやし」でしかない、貧しい民に属する者たちでしょう。

おそらく私たちは、聖書が語る「砕けた心」や「哀れなたましい」について多少は知る者たちでしょう。

「悲惨と汚れの家」に住む人は今、自分を主イエスの御手にゆだねることができます。
御手は今、祝福のために上げられています。
また、その人は、開かれた天におられる救い主を見上げることができます。

救い主は、汚れた者をきよめ、悲惨な者を喜びに満たし、疎外された者を生ける神の子どもにしてくださいます。

主よ。
罪人と心砕けた者の友よ。
あなたなしに、どのように生きられましょうか。アーメン

God Bless You!!


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