2018年5月6日(日)の手紙

2018年5月6日(日)


『神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。』使徒行伝2章32節


ペンテコステの日、ペテロがそう叫ぶところに居合わせたならば、どんなに良かったことでしょうか。
彼がそう叫んだとき、この屈強な漁師は人々に衝撃を与えたのでした。

受難週の木曜日、夜の暗闇に走り出て、自分のために「激しく泣いた」光景を、彼はその時思い起こしたことでしょう。

今や彼は、まさしくイエスの復活こそが私たちの涙への、神の答えだと悟ります。
神は私たちに救い主を遣わしてくださり、そしてこの方が私たちの涙をぬぐい、私たちの心を癒してくださるのです。

これをしっかりと握りましょう。
イエスの復活は、私たちの涙、悲しみ、嘆きへの神の答えです。

悲しみに打ちのめされた人に会うことがあります。
そして、いつも強く感じるのは、「ひとりの心が真に痛むとき、他人は慰めるすべもなく立ち尽くすほかはない」ということです。

しかしながら、憂いに沈む心がイエスの復活を見上げることができるならば、偉大なデンマークの哲学者キルケゴールのことばが、その人のものとなります。

「イエスがよみがえったからには、すべてがよくなるにちがいない」。

聖書にはダビデの驚くべき祈りがあります。
「どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください」。

そうです。
神はそうしてくださる方です。
そして神の答えは、生ける、よみがえった救い主、贖い主、その方です。

よみがえった神の御子のほかに、事実、私たちに慰めはありません。
この慰めとは、来るべき約束であり、その前払い金です。

聖書はこの慰めについて「(神は)彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる」と語ります。

「あなたにあって喜びがあります。どんな悩みの中にも。
ああ愛するイエス・キリストよ」。アーメン

God Bless You!!


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