2018年5月3日(木)の手紙

2018年5月3日(木)


『そして近寄って棺に手をかけられると、… 「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。』ルカによる福音書7章14節


なんという衝撃的な光景でしょうか。
ナインの町の門からひとりの若者の遺骸が担ぎ出されようとしています。
それは今日の柩とは違って、布にくるんで担架に載せるだけのものでした。

聖書は語ります。
私たちはみなこの若者のように、神の前には死んだ者であると。
多くの人々がそれに気づかず、知らないということは、私たちがいかに死んだ者であるかということの証拠です。

さてこの事件はすばらしい真理を伝えます。
イエスは私たちを生かすことのできるお方だということです。

オズワルド・スミスが実に適切な話を書いているので、そのまま引用しましょう。

人々が死人を担ぎ出して来た。
すると男がひとり近寄って、「止まれ。私が死人をよみがえらせてみせよう。
彼に欠けているのは教養だ」。

そこで男は死人に古典と哲学書を読んで聞かせる。
が、死人は死んだまま。

「そうではない」と別の男が言う。
「彼に足りないのは良い環境だ。
だれがこんな悲惨な境遇の中で生きられるか」。

男は仕事に出かけ、道路を清掃し、物ごいには三マルクを与えて立ち退かせる。
が…、死人は死んだまま。

またほかの男が出て来て、死人に向かって怒鳴りつける。
「お前に足りないのは強い意志だ。
その気さえあれば生きられる。
さあ、頑張るのだ」。
が…、その勧めにも効果はない。

年老いたラビが柩に近づき、「この人には宗教が欠けておる」。
そして宗教書を読み聞かせる。
それでも、うまくいかない。

まさにその時、イエスが来られて、「あなたに言う、起きなさい」。
すると、死人は身を起こした。
イエスは言われます。
「わたしが来たのは、羊がいのちを… 持つためです」。

主よ。
私たちをも、いのちに目覚めさせてください。アーメン

God Bless You!!


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