2018年5月11日(金)の手紙

2018年5月11日(金)


『そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。彼らは… 神をほめたたえていた。』ルカによる福音書24章51節~53節


私たちは、主イエスが天に上って行かれるようすを詳しく知りたいと思います。
が、聖書は故意に、それを明確に語ろうとしないようです。

というのは、この福音書を書いたルカ自身が、のちに執筆した続編「使徒の働き」ではこう表現するからです。
「イエスは… 雲に包まれて見えなくなられた」。

なぜ聖書は、この大事件を漠然としか伝えないのでしょうか。

私は思うのですが、それは私たちが「主はどんなふうにして天に上られたのか」と詮索しないためです。
その代わりに「神が高く上げられたこの方はいったいだれなのか」と考えるためです。

それゆえ弟子たちは、イエスが離れて行かれた直後でさえも、「これはどんなふうにして起こったのか」とは考えませんでした。
かえって「神をほめたたえていた」のです。

今や彼らははっきりと、父なる神の御子が彼らの間に来ておられたのだと悟りました。
主イエスが神の御子だということへの驚きと喜びにただただ満たされたのでした。

私はかつて青年たちの大集会に出たことがあります。
良い説教がいくつも語られました。
が、最も印象的であったのは大群衆のとどろく賛美でした。
「なんという主。なんという王。
彼に仕える、なんという光栄」。

主が天に帰られた、あの日の弟子たちの賛美も、おそらくそのような響きであったことでしょう。
以来、イエスの群れは、「なんという主」と歌うのをやめません。

そうです。
信じる者の群れは、この驚きの賛美から逸脱しません。
彼らが十字架の主を見、主がいかに輝かしく復活し、御父のもとに帰られたかを知るとき、いつもこの歌が響きわたります。
「なんという主」。

賛美はまさしく、主に対するまことの態度です。

主よ。
あなたをたたえる者たちに、私たちをもお加えください。アーメン

God Bless You!!


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